プロテニスプレーヤーの伊達公子さん=関田航撮影
3月8日は国際女性デー。プロテニス選手の伊達公子さんは、元夫に気づかされたことがあるといい、「自分として生きることは心地いい」を語ります。
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最初の現役引退後、ドイツ出身の元夫と暮らしていく中で、私は少しずつ変わっていきました。
2人で外出したとき、私が何げなく彼の後ろをついて歩いていると、よく言われました。
「なんでいつも僕の後ろを歩くの? どうして並んで歩かないの?」
がくぜんとしました。
それまでは前や横を歩くのはズケズケしているような気がして、やや後ろあたりを歩くのが自分にとっては自然でした。ですが、知らず知らずのうちにできあがっていた、相手より一歩下がる自分を指摘されたことで、それまで当たり前と思っていたことを見つめなおしていったのです。
彼は自分を「女性だから」ではなく、何をするにも一人の人間として見てくれました。そういう生活を経て、「女性はこうあるべきだ」という自分の中にあった固定観念がリセットされて、代わりに「自分」として生きることの心地よさが生まれていきました。
■少女時代は「早く結婚・出産を」
私は高校3年のとき、卒業したらプロテニス選手に転向したいと両親に告げました。当時はとても強い選手というわけではなかったということもあって、両親には「何もプロにならなくてもいいのではないか」と言われました。大学に行って早く結婚して、子供を産んで、と思い描いていたようです。
でも、自分が飛び込んだ女子プロテニス界は、自己主張しないと生きていけない世界でした。練習相手選びもスケジュール調整も、飲み物選びも。自分がどうしたいのかを常に伝えて明らかにしておかないと、その場にいないのと同じ扱いを受けます。
「女性が自分を出したり主張したりするのはあまりよろしくない」と育てられてきた私は、こうした世界でやっていくことに最初は戸惑いました。
22歳になるころには一人で転戦する生活を送り、自己主張の世界にも慣れました。といっても、このまま選手として長く続けようと思っていたわけではありませんでした。
幼い頃は見た目が少年のようでしたが、両親の願いと同様、早く結婚して早く子どもが欲しい、それが女性の幸せだと思ってきました。女性は字がきれいでないといけない、と思ってペン習字を習っていた時期もあります。そういう生き方が当たり前だと思っていましたし、テニスでキャリアをひたすら追求する必要はないとも思っていました。プロテニス選手として試合に臨んでいる時の自分とそうでない自分は違う。コートの内と外で、自分をそう区別してものを考えていました。
■女性としてテニスができて良かった
いま、自分は主張するべきことはできる女性になり、無理なく自分を生きていると思います。昔はテニスをするなら男性の方がシンプルだと思っていました。でも、今は女性としてテニスができたのは良かったと思っています。
若い人たちには、ぜひいろんなことにトライして欲しいと思っています。私は運良く、子どもの頃にテニスを始めたことで自分の人生の軸となるものと早くから出会うことができました。そういう機会がないままの人も少なくないと思いますが、何か一つのことを極めるには、それをやり続けていくことが大事です。そこから見えてくることがたくさんあると思います。(聞き手・錦光山雅子)
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1970年生まれ。京都市出身。小学1年でテニスを始め、インターハイで3冠を達成。高校卒業後プロに転向、世界ランキング4位を記録し96年引退。08年、プロに復帰。16年、ひざの手術を受け、回復に専念。今春のツアー復帰を目指し、現在トレーニング中。エステティックTBC所属。