南阿蘇村と東海大学阿蘇キャンパス
熊本地震で被災し、東海大が全面再建を断念した阿蘇キャンパス(熊本県南阿蘇村)は今年度に入っても閉鎖が続く。人口減に悩む村から約800人もの学生が去り、人々は寂しさを募らせる。一方で、村の再興に向けて移住を目指す新たな動きも生まれている。
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■人手不足、悩む農家ら
「この辺りは2階建てアパートに囲まれ、学生の声がいつも聞こえていたのに」。閉鎖中の東海大阿蘇キャンパスがある南阿蘇村黒川地区。市原真由美さん(47)は12日、経営していたアパート跡の更地にいた。解体工事をする重機の音が響く。
近くで学生寮を営んでいた長野フタエさん(88)によると、1973年に阿蘇キャンパスが開校するまでこの地区は田んぼや畑ばかりだった。開校が決まると街路灯が設置され、寮やアパートも増えた。「多くの学生が来て都会になったようだった」と振り返る。
だが、昨年4月16日の本震で学生寮や住宅の多くは倒壊、学生も3人が犠牲になった。阿蘇キャンパスは使えなくなり、別のキャンパスがある熊本市に学生は移った。約40世帯いた住民は6世帯が残るのみだ。
長野さんの築約30年の学生寮も半壊したが、学生が戻る日に向けて補修するつもりで屋根にシートをかけていた。だが、この1年で2階の天井は腐り落ち、公費解体の期限が迫る3月、解体を決めた。
決断の決め手は東海大が1月に発表した阿蘇キャンパスの全面再建断念。同大は今秋をめどに農業実習で使う考えだが、地震発生後に熊本キャンパス(熊本市)で再開した授業はそのまま続ける予定で、学生が村で暮らす見込みはない。
名水百選の一つ「白川水源」の近く。山室大地さん(28)の農場は30棟のビニールハウスと露地でブロッコリーとトマトを栽培し、5月から収穫を始める。
地震前まで、アルバイトは多い時で学生5人がいたが、今は50代と20代の2人。農繁期にはさらに2人を雇う予定だが、どこも人手不足で地震前より高い時給でないと確保できない。山室さんは「もう学生を当てにできない。人が集まらなければ自分たちが150%の力で働くしかない」と苦渋の表情を浮かべた。
崩落した阿蘇大橋から約2キロ、国道沿いのコンビニは地震後、午後9時に閉まる。深夜営業を支えた学生がいなくなり、24時間営業再開の見込みは立たない。オーナーの男性(65)は「大学だけで一つの村のようだった。若者が消え、一瞬にして元の田舎に引き戻されてしまった」と話す。