金山体育館で開かれた名古屋場所では、暑さを和らげるために酸素が放出された
大相撲名古屋場所が9日、名古屋市中区の愛知県体育館で初日を迎える。1958年に本場所に昇格した名古屋場所は今年60年の節目を迎える。長年の歩みの中で記憶に残る風景を、ゆかりの人たちに振り返ってもらった。(浦島千佳、浪間新太)
「首からタオルを下げて汗を拭き拭き、うちわを持って放送したもんですよ」
大相撲報道に半世紀以上携わってきた元NHKアナウンサーの杉山邦博さん(86)は、名古屋場所が本場所に昇格した時に会場だった金山体育館の様子をこう振り返る。準場所時代は2月開催が主だったが、昇格前年の57年から7月開催に。冷房設備はなく、館内は蒸し風呂のような状態だった。各所に氷柱が置かれ、気温を下げるための酸素ボンベが設置されたという。「ボンベのシューッていう独特な音と霧の煙が館内に流れたんですよね。みんながファンに応えようと苦労していたのが思い出されます」
優勝第1号は若乃花、翌年は栃錦で「名古屋場所のパイオニア的役割を果たした」と杉山さん。その後は大鵬、柏戸の時代に移るが「名古屋にとっては大鵬、また大鵬(が優勝)の記憶が大きい」という。「不思議と名古屋で横綱になった人がいっぱいいる」とも。輪島と「輪湖時代」を築いた北の湖も、千代の富士が大関3場所目で綱を射止めたのも、稀勢の里の先代の師匠、隆の里が横綱になったのも名古屋場所がきっかけだった。「こういう時があっての若乃花、貴乃花があり、白鵬があり、稀勢の里、高安がある。忘れてはいけない」と懐かしむ。