島田洋七さん=佐賀市
■がばい! 佐賀北の記憶
ハイテンション実況アナ、佐賀北に「勉強させられた」
2007年夏の甲子園決勝で佐賀北に惜敗した広島代表・広陵の元球児ながら、「悔しくはなかった」と振り返る人がいる。タレントの島田洋七さん(67)。小学2年生から8年間過ごした佐賀の思い出をもとにした小説「佐賀のがばいばあちゃん」で知られ、現在は佐賀県在住。高校野球への思いは強い。
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佐賀北の優勝から10年か、早いなあ。決勝の日は仕事の合間に友達とメールしていた。「(広陵の)優勝やな」「飲もうか」なんて。そしたら佐賀北が優勝。「点数開いてたやん、うそやん」と思った。
当時どちらを応援しようか聞かれたら? 好かれよう思うたら、答えは「引き分け」や(笑)。ただ、やっぱり心情的にはどっちかというと広陵やった。野球部にもいたしね。
でも、負けたけど、悔しくなかった。きっと俺だけやな、全国でどっちが勝ってもうれしいというのは。
当時は「佐賀のがばいばあちゃん」が大ヒット中。佐賀北の躍進も「がばい旋風」と称された。
本は売れたし、ドラマ、映画、芝居……。そんな中で佐賀北の優勝や。「がばい」だらけやった。全国が「佐賀」。社会現象っぽくなっていたな。
赤松小(佐賀市)の4年生のころ野球を始めた。草を引っこ抜いて、それを置いて一塁とか三塁とか決めてやっていた。
城南中(同市)に入っても、1年の頃にはレギュラーや。3年の時には主将で1番三塁手。足も速いし、転がせばヒット。出塁率が良かったね。
城南中は強かったよ。そういえば永淵洋三さん(元近鉄など。漫画「あぶさん」の主人公のモデルとされる)や高浜卓也(現ロッテ)も城南の出身。広陵戦で逆転満塁本塁打を打った佐賀北の副島(浩史)もそうや。決勝で後輩が打ってくれたというのもうれしかったなあ。
【高校時代には挫折を味わった。】
広陵の野球部に進んだ。特待生や。けど練習中に左ひじに打球が当たって軟骨を損傷。3カ月曲がらなかった。広陵はライバルがたくさん。休んだら抜かれるで。治らず、2年の途中にやめた。
ショックで野球の話もしたくなかったな。佐賀を出るとき周りに広陵に行くと言っていたから、広陵が甲子園に出たら、新聞とかで徳永(本名)が出ていないことがわかってしまうやんか。「甲子園なんか行かなきゃいいのに」と思ったこともあった。でも、同級生の最後の夏、県大会の決勝を見に行ったら、必死で応援していたな。最後は優勝。良かったなと思えた。
【今でも、高校野球が気になり、スポーツ新聞を買って、他の地方大会もチェックしている。】
こっち(佐賀)に帰って来ていたら、球場に見に行くよ。
高校野球をやっていたというだけで素晴らしいと思うな。甲子園絡む絡まないは関係ないんや。みんな何十年も前のことなのに、「2ストライク1ボールで、私三振しました。次の打者も三振して試合が終わったんです」なんて、熱く語れる。すごいことよ。
今年の球児たちには10年前の佐賀北を目指して頑張ってほしい。これは漫才師の発想やけど、負けたら笑うんや。一瞬は悲しんでもいいけど、「2年半もやったのに負けたー」って笑うねん。そういう気持ちでやったらいい結果も出る。笑うもん、勝ちや。