吉田麻也が高校3年の時に書いた進路志望用紙。第2志望は「なし」。プロになる意志が強くにじんでいた=2018年6月27日午後、愛知県豊田市、斉藤佑介撮影
サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会で、日本は28日のポーランド戦に、0―1で敗れながらも決勝トーナメント進出を決めた。DF吉田麻也(29)は、体を張った守りで、守備陣を支えた。高校時代の恩師らは活躍をたたえた。
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「大事なのは結果。お疲れ様と言いたい」。吉田が通った愛知県立豊田高校で2、3年時に担任だった青木順一さん(50)は豊田市の自宅で、決勝トーナメント進出をテレビ中継で見届け、ホッと息をついた。
長崎市出身の吉田。名古屋グランパスのジュニアユースチームに選ばれ、中学入学時に愛知に移り住んだ。
青木さんは、吉田が高3の時に書いた進路用紙の目標を今も覚えている。第1志望「名古屋グランパスエイト」、第2志望「なし」、担任への一言欄には「まかせとけ!」。夢にかける強い意志を感じた。プロ契約が決まった後、併せて早稲田大の通信課程に入学した吉田。受験用の論文を添削した時、思いの背景を知った。
共働きで支えてくれた両親、長崎を離れられない親に代わって一緒に移り住んで炊事・洗濯をしてくれた兄。経済的負担をかけまいと県立高へ進学したこと。論文には、感謝と家族への敬意がつづられていた。その思いの延長に、W杯の活躍がある。
「麻也は当時から自立し、自律していた生徒でした。世界で飛躍する教え子を持てたこと、担任としてこんな幸せはありません」
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愛知県東郷町の生花店「ガーランド」オーナー林小夜子さん(68)と、次女千夏さん(35)は「最後までドキドキしましたね。これでまた寝不足の日が続きますね」と喜んだ。
吉田が18歳の時、当時営んでいたカフェがグランパスの練習場に近く、食事に訪れた縁で交流が始まった。「当時から日本代表、海外でのプレーが明確に頭にあった。英語を磨くため、外国人選手と2人で食事に行っていました」と小夜子さん。
毎年5月の「母の日」には、小夜子さんらが吉田に代わって吉田の母や、愛知で吉田がお世話になった知人に花を贈る。今も帰国時には食卓を囲んで旧交を温めている。
2人は毎試合欠かさずテレビ観戦している。「麻也ちゃんは試合に出続けている。少しでも英気を養い、まだ成し遂げていないベスト8を目指して欲しい」(斉藤佑介)