「ヌンカ、デジスタ(あきらめるな)!」。ブラジル・サンパウロ州グアララペス。赤土の野球場にポルトガル語が響き渡る。
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大見翔さん(25)は昨年1月から現地の少年野球チームを指導する。愛知県出身の元高校球児。大学時代に短期ボランティアとしてブラジルで指導したのがきっかけで、「子供たちの身体能力は高い。技術指導してみたい」と国際協力機構(JICA)が途上国に派遣する青年海外協力隊の「野球隊員」に応募した。
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ブラジルに渡って感じたのは「才能重視」の空気だ。地元のサッカークラブではセンスが良ければ、練習に来なくても試合に出られる子が多いと思った。
「日々努力する大切さを伝えたい」。捕手だった安城東(愛知)時代、バッテリーを組んだエースが先天性感音難聴だった。試合中、指示の声はほとんど聞こえないが、サインを工夫して乗り越え、3年夏、愛知大会の初戦で完封勝ち。努力して結果を残す。その喜びを子らにも味わって欲しかった。
チームには5~16歳の約50人が所属するが、野球経験の無い子がほとんど。うまくできずに練習を休みがちな子もいたが、時には自宅まで迎えに行き、練習へと誘った。
半年が過ぎた昨年6月、地域の少年野球大会「ブラジレイロ」で、12、13歳のチームが8―5で初勝利した。すると、子どもたちが自主練習にも取り組むようになった。「技術指導より、コツコツ頑張ることを教えることの方が大事だと知った」
夏の高校野球の第1回大会は1915年、青少年の健全育成を目的として始まった。試合は本塁を挟み、両チームが礼をして始まり、礼で終わる。高校野球は礼儀や協調性、忍耐力を培う場ともなった。
第1回大会から半世紀が過ぎた70年、海外技術協力事業団(現在のJICA)が野球隊員の派遣を始め、元球児たちは海外にその精神を伝える。元青年海外協力隊員で、スポーツを通じた国際貢献を研究する広島大大学院の斉藤一彦教授(スポーツ国際開発学)は「目標に向かって、チームのために自分の力を尽くさなければ、高校野球は成立しない。途上国が抱える社会課題の解決に必要な発想でもある」と説明する。次第に野球指導が人材育成にもつながるという評価が定着。野球隊員の数は、これまでに35カ国、延べ548人に上る。そのほとんどが元高校球児だ。
2020年の東京五輪で復活が決まった野球競技。海外で元球児から野球を教わった少年が今、五輪への夢を思い描いている。
独立リーグの「高知ファイティングドッグス」の外野手サンホ・ラシィナさん(20)。10歳の時、西アフリカ・ブルキナファソで、富良野(北海道)出身の野球隊員、出合(であい)祐太さん(35)が指導するチームに入った。「スポーツが仕事になる」と出合さんから聞き、驚いた。新たな人生の選択肢を得た思いがして、練習に励んだ。家族からは「家の手伝いもせず、役に立たない野球ばかり」と怒られたが、出合さんの帰国後も練習を続けると、15歳の時、チャンスが来た。日本の独立リーグの入団テストを受けるための選考会があり、200人の中からただ一人選ばれた。テストに一度は落ちたが、高知から練習生のオファーを受け再来日。15年に選手に昇格した。
4年目を迎えた今季、これまで13試合に出場し、打率は1割2分5厘。「最初は練習について行くのが精いっぱいだったが、ここまで来たから頑張るしかない」。NPB(日本野球機構)入りを目指し、練習に励む。
今年6月下旬には、母国から新たに3人がプロ選手を目指して来日した。「ブルキナの野球レベルはまだ低いが、代表入りし、東京五輪に出たい」。母国で野球は広まり始めたばかりだが、サンホさんに刺激を受け、競技人口は増えている。(江向彩也夏)