西日本豪雨の影響で、愛媛県大洲(おおず)市は約3千棟の住宅が浸水被害を受けた。記者(52)の自宅も床上約1メートルまで浸水し、家財道具や電化製品が使えなくなった。
被災地のために今できること…西日本豪雨支援通信
西日本豪雨、列島各地の被害状況は
「とうとう、きたか」。7月6日昼、大洲市西大洲の新興住宅地にある自宅マンションから数百メートルほどの道路が冠水した。
用水路などの水があふれたのだろう。7日朝にかけて雨脚は強まるとの予報だった。上流のダムの放流も予想される。肱(ひじ)川の支流近くにある1階の部屋の浸水は避けられそうもない。覚悟した。「避難しよう。とりあえず隣の八幡浜市にある支局へ」。妻に告げた。
宇和海に面する八幡浜は南海トラフ巨大地震で津波の被害が想定される。しかし、過去の経験から、水害では大洲よりも被害は軽いだろうと見越した。
避難生活のための寝袋などは日頃から登山ザックにまとめてある。衣類や貴重品を手に取った。小学1年生で6歳のひとり息子を連れ、2台の車に分乗した。家族写真のデータが保存してあるパソコンや母子手帳は持った。車の水没を避けられたことは、買い出しなどに重宝した。ランドセルを忘れたことを、後に妻は悔やんだ。
朝日新聞八幡浜支局は市街地のビルの4階にある。周辺道路は一部浸水したが、ビルは無事だった。
支局の記者は私1人。寝袋を布団がわりにした妻が「キャンプみたいだね」と話すと、息子は笑った。そこに1週間ほど親子3人で過ごした。
肱川は人の腕をひじで折り曲げたような流れを描く。長さは約100キロ。距離に比べて支流は多く、一気に水量が増える特徴がある。大洲市は繰り返し水害を受けてきた。
近年では2004、05、11年に浸水被害が起きた。市内の本流沿いには堤防がない部分も残る。行政側は支流を含めた堤防のかさ上げなどに取り組んできたが、また起きた。
私が着任したのは約4年前の春。間取りなどで条件に見合う物件は極めて少なく、大洲市の1階の部屋に賃貸で入居した。過去にも浸水を受けており、梅雨と台風の時期になると、「大丈夫かな」と妻と言い合っていた。
大洲は愛媛県南西部の各地への道路アクセスが良い。商業施設の集積も進んでいた。地元の人たちは、しばしば大雨になりそうになると、早めにマイカーを安全な場所に移していた。
妻が長男とともに、水の引いた自宅に戻ると、部屋の金属製のドアは変形していた。水圧がかかった証しだ。床から1メートルを超える高さまで泥の跡が残っていた。冷蔵庫や本棚は倒れて衣装ケースは散乱していた。テーブルの上に上げておいたテレビ2台は水没した。ランドセルはぬれていなかった。妻は想像以上の光景にぼうぜんと立ち尽くした。
私が愛媛県内の被災地の取材をしている間、長男を友人に預けて妻は散乱した家財や泥と格闘した。西日本に頼る親族はいない。ママ友の夫婦や、マンション階上の男性が手伝ってくれなければ、本棚や家電は片付けられなかった。心が折れていたと振り返る。「水でぬれた家財の重さで、倒れそうだった」とも言う。
部屋から出た災害ごみは駐車場に山盛りになった。妻が長男に毎日読み聞かせをしていた絵本は泥にまみれた。
その後、近くのマンションに引っ越し先を確保した。家具や電化製品は使えなくなった。しばらくは段ボールを食卓にする生活だ。(佐藤英法)