長崎に投下された原爆のプルトニウムが作られた核施設の地元、米ワシントン州リッチランドで、毎年8月9日に「平和の鐘」を鳴らす男性がいる。日本の被爆者と米国の戦死者のために、30年以上続けている。今年3月には長崎の被爆者が初めてこの街を訪れた。両市の交流がさらに深まることを願っている。
この男性は、リッチランドに隣接するハンフォード核施設で働いていたジム・ストフェルスさん(80)。
米国で核戦争の不安が高まっていた1980年代、核廃絶をめざす市民団体「平和のための世界市民」を仲間と設立した。冷戦が終わった今も「核兵器が二度と使われないように」と活動を続ける。行事は市内の公園で行われ、昨年は45人ほどが集まったという。
ストフェルスさんによると、「平和の鐘」は爆心地に近い浦上天主堂の鐘を模したもので、1985年に長崎市の本島等市長(当時)から贈られたという。
ハンフォード核施設は第2次大戦中の「マンハッタン計画」の拠点の一つ。リッチランドにはキノコ雲をシンボルマークにする高校があるなど、原爆を誇りに思う住民も多く、地元の博物館で原爆投下後の長崎の写真を展示しようとしたが実現しなかったこともあったという。
ストフェルスさんは2011年に長年の夢だった長崎訪問を果たし、今年3月には長崎の被爆者のリッチランド初訪問を支援した。
「個人レベルでは、両市の架け橋を作ろうと試みている。公的なレベルで、両市長が互いの街を訪れることを願っています」と話す。(伊藤繭莉)