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幕末のサムライ、ヨーロッパで何を見た? 日記など展示

作者:佚名  来源:本站原创   更新:2018-8-9 11:12:07  点击:  切换到繁體中文

 

明治維新の7年前にあたる1861年、江戸幕府が初めて欧州へ正式な使節団を派遣したことがある。この使節団には、兵庫県北部出身の武士たちも参加していた。そのうちの1人、黒澤貞備(さだよ、1809~92)が残した詳細な日記や手紙を紹介する企画展「サムライが見たヨーロッパ」が、兵庫県朝来市の生野書院で開催中だ。9月9日まで。


「文久遣欧使節」と呼ばれる使節団は、約1年間にわたって欧州各国を回った。総勢は38人。若き日の福沢諭吉や、のちに東京日日新聞社長となった福地源一郎も通訳として参加していた。


全権大使の1人は、但馬糸井(たじまいとい、現兵庫県朝来市)に知行地があった幕府の旗本、糸井京極家の京極高朗(たかあき)。日記を残したのは、その従者で、家老格だった黒澤貞備だった。


展示されるのは、黒澤の日記「欧羅巴(ヨーロッパ)航日録」や国内に残った京極家の家臣あてに送った手紙、現地で撮った使節団員の写真など約30点。日記は甲と乙の2冊があり、欧州への派遣前後約3年間の出来事が詳細に記されている。主君の行動や自らの仕事内容だけでなく、天候や温度なども記録され、専門家から遣欧使節の動向がわかる貴重な資料として評価されている。朝来市教委の中島雄二・文化財課長は「黒澤の記した内容や字体を見ると非常に丁寧で読みやすく、優秀な役人だったことをうかがわせる」と話す。


革製アルバムには訪問した各国の国王や王妃の写真、使節団員の写真なども収められている。欧州から持ち帰ったペンダントやブロンズ像、遠めがねなども見ることができる。生野書院の小椋俊司館長は「混沌(こんとん)とした江戸時代末期、この山あいの町に世界を見てきた人物がおり、しかも、表舞台に出てこないまま生涯を終えたことも知ってもらえたら」と話す。


無料。月曜休館。関連企画として講演会も。26日午後1時半から、生野書院近くの生野マインホールで、品川歴史館(東京都)の冨川武史学芸員が「文久の遣欧使節団とその足跡」と題して講演(無料、申し込み不要)する。問い合わせは生野書院(079・679・4336)へ。(渡義人)



〈文久遣欧使節〉 1861年12月から翌年12月までの約1年間、英国やフランス、ロシアなどを巡った幕府の使節団。攘夷(じょうい)運動の高まりなどのため、安政の五カ国条約(1858年、修好通商条約)で約束した兵庫などの開港・開市が難しくなり、延期交渉のため派遣された。



 

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