誰も助けてくれなかった――。73年前の終戦後。東京・上野駅など各地の大きな駅には「浮浪児」と呼ばれた子どもたちがいた。親を失った戦争孤児。救いの手をさしのべられることもなく、多くの命が路上に消えた。駅の子たちの目にうつった社会、大人の姿とは。 終戦後初めての冬。当時6歳だった奥出廣司さん(79)=京都府宇治市=は、はだしでふるえながら、京都駅の改札の外に立っていた。 買い出しから戻った乗客の顔を見つめて食べ物をめぐんでくれるのをじっと待った。「どうすれば同情してもらえるか、そればかり考えていた」。物乞いしか生きる方法はなかった。もらったサツマイモは土を落として生でかじった。2日間、何も口にできないこともあった。 父と姉(当時8歳)と3人で駅に行き着いたのは1945年11月だ。奥出さんが2歳のときに母は病死。病弱な父は戦後の混乱で職と住まいを失った。2人の子を預かってもらおうと父は親戚を訪ね歩いたが、みな断られた。 記憶では11月14日。衰弱した父が駅の待合室のベンチで倒れた。「こりゃ、もうだめや」。呼んできた駅員は、かすかに息がある父を担架に乗せ、駅の奥にあった大部屋に運んだ。そして、奥出さんと姉の目の前で「父はゴミのようにほかされた(捨てられた)」。その部屋には何十もの行き倒れた人々の遺体が並んでいた。 駅員は「ちゃんと火葬するから… |
かすかに息ある父、目の前で捨てられた 戦争孤児の証言
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