太平洋戦争中に使っていた装置で、今もモールス信号を打つ元通信兵がいる。瀬戸山定(さだむ)さん(92)=さいたま市北区。戦争体験を語り継ぐ活動に加わり、熟練の手つきで信号音を響かせてきた。15日で終戦から73年。今は亡き戦友への思いは、消えることがない。
ニ・イ・タ・カ・ヤ・マ・ノ・ボ・レ――。昨秋、福岡市であった戦争体験を語る集会。瀬戸山さんは、「電鍵(でんけん)」と呼ばれる装置を小刻みに連打し、長短2種類の音を組み合わせて送信してみせた。「アイシテマス」「カネヲクレ」。こんな例文で笑いも誘いながら、参加者に装置にふれてみるよう勧めた。
宮崎県日向市出身。幼い頃から飛行機に憧れ、1942年春に東京陸軍航空学校に入った。操縦士を夢見たが、配属先は「通信」。失意のうちに訓練を重ねて好成績を修め、任地発表の日を迎えたが、今度は学校に残っての指導係を命じられた。「前線に行くこともできないのか」。悔しさがこみ上げた。
約3カ月後、同期を乗せた輸送船が任地に向かう途中、フィリピン沖で米軍の潜水艦に撃沈された。苦楽を共にした多くの仲間が命を落とした。「任地を目前にして散華した無念を思うと言うべき言葉もない」。90歳を過ぎて記した自分史に、そうつづった。
45年5月、東京の宿舎が空襲…