俳人・正岡子規(1867~1902)が詠んだ句を含む小冊子2冊が、新たに見つかった。東京都台東区の子規庵(あん)保存会が22日、発表した。写実を是としていた子規が、句作でだじゃれに興じるのは珍しく、ユーモラスな一面が垣間見える。
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2冊はいずれも和とじの小冊子。表紙にはそれぞれ子規の自筆で「丁酉遺珠(ていゆういしゅ)」「福引」と書かれている。
1897(明治30)年の正月、子規は東京・根岸の自宅に年始のあいさつに訪れた高浜虚子や河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)ら弟子を連れ、人力車で上野の貸席に出向いて新年会を催した。福引を引き、景品に合わせてその場で句を詠むという遊びに興じたが、そのときに子規が詠んだ2句のうち、未発表だった1句が「福引」の方に掲載されていた。
新年や昔より窮す猶(なお)窮す
同じページに「福引にキウス(急須)を得て発句に窮す」という詞書(ことばがき)が、子規自身の筆で添えられている。子規はこの前年、病状が悪化し、脊椎(せきつい)カリエスの手術を受けている。しかしこの時期は病も小康状態だったようで、久しぶりにはしゃいでいたとみられる。調査にあたった復本一郎・神奈川大学名誉教授(国文学)は、「病床の貧しい生活を即興で詠んだ、滑稽で遊びのある作風。写生の人である子規の、別の側面が見られて興味深い」と話す。
新発見の2冊には、虚子や碧梧桐を含む11人の弟子たちの句もそれぞれ真筆で残されており、多くが新出と見られる。
ふんどしと蜜柑(みかん)と袂(たもと)ふくれたる 虚子
貧(ひん)かつ愚(ぐ)福引引いてさりつ古暦 碧梧桐
これらは同じく新たに見つかった、子規が友人のジャーナリスト古島一雄に宛てた書簡とともに、東京都台東区根岸2丁目の「子規庵」で9月1~30日に展示される。(樋口大二)