片足をもう一方の足に載せ、右手の指先をほおにあてて瞑想(めいそう)する「半跏思惟(はんかしゆい)像」をはじめとした古代東アジアの金銅仏をめぐって、日本と韓国の研究者が共同研究を進めている。蛍光X線分析などの科学分析を通じて、仏像の制作地や年代、技法などの解明を目指す。日韓に現存する半跏思惟像の調査では金銅仏の歴史的、地理的な謎に迫る新知見が得られている。
半跏思惟像については、ソウルの韓国国立中央博物館と大阪大学が中心となって2009年から共同で調査を実施。日韓に所在する計43点を対象に科学的な分析を行った。韓国の金銅仏は中央博物館所蔵の12点で、いずれも6~7世紀の百済(くだら)と新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)が争った「三国時代」に朝鮮半島で作られたとみられ、京都・広隆寺の有名な木造半跏思惟像(飛鳥時代)と似た国宝第83号(総高90・8センチ、三国時代)など国宝2点も含まれる。日本の金銅仏は東京国立博物館所蔵の法隆寺献納宝物(けんのうほうもつ)や寺院、美術館、個人の所蔵品などで、多くが飛鳥~奈良時代(7~8世紀)に作られたとみられる31点。
調査方法は、蛍光X線分析装置で非破壊の方式で表面の金属成分を測定。1点あたり10カ所前後から90カ所余りを計測した。さらに、マイクロスコープや赤外線カメラも使用したほか、一部の仏像については三次元計測やX線CTスキャンによって撮影した。
純銅に近い日本製、朝鮮半島製は錫5~10%以上
調査を主導した阪大の藤岡穣(ゆたか)教授(東洋美術史)によれば、青銅の組成のうち錫(すず)と鉛、ヒ素の含有量には制作地や年代によって一定の傾向がみられることが分かってきた。日本製は銅の割合が高く、純銅に近い。錫は少なく、鉛もほとんど含まない傾向がある。一方、朝鮮半島製は銅以外の元素が多く、錫が5~10%以上、鉛も5%以上含むケースが多い。制作年代でも、7世紀の飛鳥時代前半を代表する仏師の流派、止利派(とりは)の金銅仏には錫3%、鉛7%程度が含まれるが、飛鳥時代後半の白鳳(はくほう)期には錫またはヒ素が3%程度、あるいはほぼ純銅、8世紀の奈良時代に入ると鉛の割合が増えていくという。
「日本書紀」などの史料によれば、仏教が朝鮮半島から日本に伝わったのは6世紀半ばごろ。百済の聖明王によって仏像や経典がもたらされ、飛鳥時代を通じて百済や新羅から仏像がおくられたとされる。藤岡さんは、今回調査した日本所在の31点のうち11点が三国時代の朝鮮半島で作られ、日本に渡ってきた「渡来(とらい)仏」の可能性が高いとみる。
兵庫県姫路市の慶雲(けいうん)寺の半跏思惟像(総高44・5センチ)は、鎌倉時代や飛鳥時代に作られた日本製とされてきたが、様式の検討に加え、銅85%、錫10・6%などの成分分析も踏まえ、三国時代の朝鮮半島製の可能性が高いことが分かった。京都市左京区の妙伝寺の半跏思惟像(総高50・4センチ)も江戸時代の日本製とみられてきたが、錫の含有量の多いことが分かり、朝鮮半島製の可能性が高まった。
技法の面でも新たな成果があった。韓国の国宝第78号の半跏思惟像(総高81・5センチ、三国時代)について、蛍光X線分析の結果、腰の辺りの天衣の一部が、本体とは異なる金属組成だったことが新たに判明。本体を鋳造した後に、継ぎ足した可能性のあることが明らかになった。
研究チームは13年以降、中国も含め、半跏思惟像以外も対象に東アジアの金銅仏について総合調査を進めている。
中国の半跏思惟像は単独のものはすべて石造だが、韓国では磨崖仏のように別の仏像と組み合わせて表現されるケースはあっても、単独では金銅仏が多いことなど、日韓両国の半跏思惟像には共通点もある。藤岡さんは「金銅仏の年代や地域を考える際、客観的な指標が欲しいところですが、様式や技法という従来の手法に成分という視点が加わり、大きな示唆を得られるようになりました。古代日本と朝鮮半島の文化交流について、新たな展望が見えてくるかもしれない」と話す。(塚本和人)