旧優生保護法により、障害や精神疾患などを理由に不妊手術(優生手術)を強制された人たちが各地で訴訟を起こしている。神戸地裁でも9月28日、聴覚障害のある夫婦2組が国に賠償を求めて提訴した。兵庫県は、全国でも特に不妊手術に積極的な県の一つだった。
聴覚障害の2夫婦提訴 「手話できる人不在、拒否できず」 強制不妊問題
強制不妊の苦しみ伝える 聴覚障害者、手記・手話映像残す
当時の知事は天皇に「奏上」
今回の提訴に際し、県に保管されている昔の資料や文書を記者が閲覧した。
「『不幸な子どもだけは、生まれないでほしい』という気持(きもち)は、お母さん方のみならず、みんなの切なる願いでございます」。1966年に県が作成した資料集の冒頭には、当時の県衛生部長がそんな一文を寄せている。この年、県は全国に先駆けて、「不幸な子どもの生まれない運動」を開始。障害のある子や遺伝的な疾患のある子を「不幸な子ども」と位置づけ、母親の健康管理充実などと並んで、強制不妊手術を施策として推進していた。
このころの県の資料には「医師の申請による優生手術を積極的に行うよう医師の協力を求め、また関係者の指導、啓蒙を行う」という方針が明記されている。67年度には、障害の種類により、強制不妊手術の費用を助成する制度を導入したことも記録に残っている。
今回、神戸地裁に提訴した70代夫婦は、結婚直前の68年ごろに夫が不妊手術を受けさせられたという。まさに「運動」のさなかだ。
当時の知事は、旧内務省出身の金井元彦氏(故人)。施策の実施状況を5年の節目で振り返った県の冊子には、運動の端緒になったという金井知事のエピソードが紹介されている。知事は65年に滋賀県の重度心身障害児施設を訪れ、「笑うことも、はいまわることも忘れ、喜びを奪われた(中略)悲惨な姿」を目にした。その際、園長から「親のちょっとした注意や、医師の適切な処置さえあれば」と聞かされ、「深く感動」した――とある。
同冊子によると、金井知事は自ら運動の「先頭」に立ち、69年には施策の実情を昭和天皇に「奏上」(報告)。冊子の中でも「すでに、全国的な運動に広がろうとしている」という当時の状況が触れられている。
障害者の権利に社会の関心が高まる中、「運動」は70年代半ばに見直され、県内では78年の2件を最後に手術は行われなくなった。だが、89年には県が精神科病院などに手術の申請書を配り続けていたことがわかり、批判を浴びて中止。問題の根深さを露呈した。
■「きちんとした調…