先月末の沖縄県知事選では、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設反対を訴えた玉城デニー氏が初当選した。民意は示されたが、移設を進める姿勢を崩さない政府と、反対する市民が対峙(たいじ)する構図はなお続く。沖縄初の芥川賞作家で、戦前戦後の沖縄を見つめた私小説風の短編集『あなた』(新潮社)を出した大城立裕さん(93)に、本土との関係を聞いた。
表題作の「あなた」は、昨夏に亡くなった妻との半生を、情感込めて振り返った一編。日々の暮らしの一コマ一コマが、そのまま沖縄の歴史の証言ともなっている。
1972年の本土復帰を経て、沖縄県立博物館長だった80年代半ば。第2次大戦中の沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」(6月23日)に、知事がスピーチする原稿を起草するよう依頼されたことも記している。
当時の西銘(にしめ)順治知事は、沖縄自民党の衆院議員も務めた保守派。新聞記者から「沖縄の心とは?」と問われ、「ヤマトンチュ(本土の人)になりたくて、なりきれない心」という言葉を残した。
元々は独立国だった琉球は1879(明治12)年、日本の統治下に組み入れられ、沖縄県となった。この「琉球処分」以来、沖縄では官民を挙げて、本土の政治・文化への同化が進められてきた。
〈新しく日本人になった沖縄人は……ウチナーグチ(沖縄言葉)が差別の材料になり日常的な劣等感を育てられてきた〉
「本土による差別に対して、抵抗ではなく、同化を深めることで乗り越えようとしてきたのが、沖縄の歩みであったと思います」
それだけに故翁長雄志前知事が2015年5月、辺野古移設に反対する県民大会のスピーチで、本土に向けて沖縄言葉を発したことが強く印象に残ったという。
〈「ウチナーンチュ、ウシェーテー、ナイビランドー」(沖縄人を馬鹿にしてはなりませんよ)〉
差別を払いのけようとする同化志向と、沖縄独自のアイデンティティーの追求と。「本土への同化と異化のはざまで揺れているのが沖縄の心ではないでしょうか」
そのせめぎ合いの「極点」とし…