育児に悩んだ母親たちが15年前、大阪府富田林市の古い民家を借りた。彼女たちの居場所はやがて約30人の女性が働き、母親たちを支援するNPO法人「ふらっとスペース金剛」になった。立ち上げ時のメンバーが歩みを振り返り、本を出版した。
NPOが15年の歩みを本に、市民活動のノウハウ掲載
南海高野線金剛駅からほど近い民家。「ほっとひろば」と名付けられたその場所で、子どもたちはおもちゃで遊んだり、庭に飛び出したり。母親たちはスタッフに育児相談をしたり、お茶を飲んだり、思い思いに過ごす。
「ふらっと」はこうしたひろばを市内4カ所に設け、年間のべ8千組の親子が訪れる。育児ヘルパー派遣や預かり保育などの事業も展開し、今年4月には定員5人の家庭的保育施設「Kotona」も開設した。
もとは育児に悩む母親たちの居場所だった。市主催の女性講座や生協活動で知り合った10人が2003年、月5千円ずつ出して家を借りた。ふらっと寄れて、フラットに支え合おうとの思いで「ほっとスペース」(後にほっとひろばに改名)を開設。近隣の親子が集まるようになり、支援活動を始めた。
ちょうど子育て支援の必要性が理解され始めた頃だった。厚生労働省が親子の集い場への財政支援を始め、「ふらっと」は自治体から事業を受託して運営費を賄えるように。今では年間約6千万円の予算を組むまでになった。
発足当初から「ふらっと」を見てきた関西大の山縣文治教授(子ども家庭福祉論)は「信頼関係のもとで役割分担ができている。仲間とともに育ち、歩むことを大切にしてきたのだろう」とみる。
創設時から代表を務めた岡本聡子(さとこ)さん(46)は今春、世代交代を図るため広崎祥子(しょうこ)さん(39)に代表を託した。広崎さんは長女が生後2カ月の頃からひろばを利用してきた3児の母だ。代表交代を機に、岡本さんは原井メイコ副代表(54)らと15年を振り返り、本にまとめた。ボランティアを仕事にするまでの経緯や内輪もめの解決法など、市民活動のノウハウを詰め込んでいる。
本はふらっとスペース金剛編「ママたちを支援する。ママたちが支援する。」。せせらぎ出版刊、122ページ、税別1204円。
前代表・岡本聡子さん「子育てもっと楽しめる社会に」
母親たちの居場所がどのように子育て支援の拠点となったのか。「ふらっと」前代表の岡本聡子さんに聞いた。
大学在学中に妊娠し、就職を断念して家庭に入りました。夫の転勤で知り合いのいない東京へ。次女のアトピーが悪化し、日に5回も風呂に入れるような対処で消耗しきり、娘2人を抱えてベランダから飛び降りようとしたんです。なぜ母親は孤立し、苦しい状況に追いやられるのか。それが自分のテーマになりました。
大阪に転居し、女性講座で仲間と出会いました。「子連れで行ける場所がない」「育児に行き詰まり、感情が抑えられない」。自分だけがめっちゃダメな母親やと思っていたけど、それぞれが悩みを抱えていました。母親たちが自己否定にがんじがらめにならない子育てを応援できる場所を作りたかったんです。
活動理念を「I am OK.You are OK.We are all OK!」としました。自分が落ちこぼれママだったからわかる。一方的に指示され、否定されたら、正しい助言でも気持ちが受け付けない。まずはありのままを受け入れ、持っている力を信じること、当人の自己決定を大事にすることを基本姿勢としてきました。
スタッフの約半数が「ひろば」の元利用者。子連れで出勤するのも当たり前の姿です。もともと主婦で「メールも打てない」と自信のなさを訴える人もいます。私は「できると思うなぁ」って言うんです。人は期待されたら力を尽くす存在です。スタートから見れば前進している。視点を変えることでやる気を引き出せる。支援される側が支援する側へとみんなで成長を遂げたんです。
商品開発や子どもたちの宿題塾など、採算面などを理由に頓挫した事業も少なくありません。それでもあきらめずに挑戦することで力を伸ばし、その積み重ねでよりハードルの高い事業を実現してきました。
私たちが始めた頃は全国に数十カ所しかなかった「ひろば」ですが、地域子育て支援拠点事業という名称に変わり、約7千カ所まで増えました。育児のしんどさはだいぶ理解されるようになったけれど、母親たちの負担感が減ったのか。私は懐疑的です。
子どもは悪さをするし、汚すし、セミみたいに泣く。それが当たり前なのに、親も周囲も受け入れられない。子どもの存在に寛容でない社会で、親は「きちんと育てなければ」とのプレッシャーにさらされています。経済的なしんどさも加わると、子どもに余裕を持って接することが難しいように感じます。
社会が解決すべき課題はまだまだたくさんあるのです。母親たちが子育てをもっと楽に、楽しめるようになってほしいと願っています。(机美鈴)