長崎県五島市で開かれたカネミ油症発覚から50年の式典には、九州や関西など各地の被害者や支援者らが集まり、追悼の祈りを捧げた。
「認定基準もう一度検討を」 カネミ油症、発生50年
認定患者が多い五島市の玉之浦地区を代表して献花したのは、元漁協組合長の中里益太郎さん(88)。花束を捧げると、献花台に深々と一礼した。亡くなった母ハツさんも未認定だったが被害に苦しんだ一人だ。
自身を含む家族5人が認定され、油症に苦しめられた半生だった。「苦しむ人はいまだにいる。50年経っても何も変わっていない」。憤りはいまも消えない。
1968年の夏ごろだった。一緒に暮らしていた母と妻、子ども3人の家族全員に背中や内ももに吹き出物が出た。倦怠(けんたい)感に悩まされるようにもなり、小学生だった長女は学校で横になることが増えた。10月、被害が報じられると、「これだ」と家族で言い合った。
集落では移動販売で食材を買うのが一般的だった。油がなくなると一升瓶で買い、タイやブリのすり身を揚げて、家族で食べた。それなのに母だけは認定されなかった。「同じ家にいて、認定される人とされない人がいる。おかしいでしょ」。認定を訴える人は、いまも各地で絶えない。
認定された家族5人で、カネミ…