へべすや地鶏など故郷の特産品をPRしながら、自転車での日本一周をめざしていた青年が10月末、ゴールの地元・宮崎県日向市に到着した。約7千キロの道のりをロードバイク1台で走り、日本一周を達成した。
日本一周に挑戦したのは日向市の矢北嘉杜(やぎたひろと)さん(20)。日向工業高校を卒業後、起業家をめざし、神奈川の自動車工場でアルバイトをして資金づくりをしていた。そんな中、いつかやりたいと思っていた日本一周を「やるなら今がいいのでは」と思い立った。
「ただ一周するだけではもったいない」と考えていた矢北さんに協力したのが同市の産業支援センター「ひむか―Biz」だった。長友慎治センター長は日向市のPRをしながら旅をすることを提案。へべすや地鶏、ハーブティー、ジャムなどの特産品を矢北さんに提供した。
地元の友人たちに見送られながら、7月16日、日向市を出発。全都道府県庁をまわり、日本を8の字に一周する約7千キロの旅路だ。パンパンに膨らんだバッグと、「日本一周 from 宮崎」と書いた白板を背負い、旅のために10万円で購入したロードバイクをこぎ出した。
自衛隊勤務の経験もあり、体力には自信があるはずだったが、自転車で長距離を走るのはほぼ初めて。約15キロの荷物の重さにも苦しみ、予想以上に自転車は前に進んでくれない。初日は約85キロを進み、大分県内の道の駅で1人用のテントを張って野宿した。「出発して最初の1週間は、本当に走りきれるんだろうかと絶望感すらあった」と振り返る。
夏場の猛暑にも苦しんだが、気温の低い早朝に距離を稼ぐなど次第にペースをつかみ、100キロ以上走る日も珍しくなくなった。
道中2度タイヤがパンクしたが、いずれもすぐ近くに自転車屋があり、持っていたパンク修理キットを使うこともなかったという。
旅の間は休憩するたびに「頑張って」「どこから来たの?」など声をかけられた。ジュースを差し入れてくれたり、初対面の人が家に泊めてくれたり。野宿中にテントのそばに千円札が置かれていたこともあった。「毎日知らない人と出会えて、すごく刺激的でした」。お世話になった人にはへべすなどの特産品をその場でプレゼント。道中での出会いや刺激は逐一、ツイッターやインスタグラムを通して発信した。
出発から2カ月が立ったころ、大阪の警察署から逃げ出した男が自転車での日本一周を装って逃走を続けていたというニュースを知った。「一緒に走ってるのはお前じゃないよな?」と友人から連絡がきた。道の駅で休憩しているときに周りの視線が少し冷たくなったような気もした。すれ違った子どもたちから「逃亡犯だ!」と笑われたことも。それでもペダルをこぎ続けた。
そして、日本一周103日目。矢北さんの誕生日でもある10月26日に無事、日向市にゴール。日本一周を達成した。
旅は地元を知るきっかけにもなった。道中で出会う人のほとんどは日向市を知らない。だが、サーファーやアウトドア愛好家からの認知度は高かった。海岸線を走りながら各地の波を見たが、到着後に改めて地元の海を見ると「日向の波って本当に良い波だったんだ」と気付いた。旅を終え、「これからも地元で頑張っていきたい」という思いが強くなった。
「こんなやつが日本一周できるなら自分にも何かできるんじゃないか、そう思ってもらいたい」。旅の思い出や自分の夢を来年1月の成人式で発表する予定だ。起業して人の役に立ちたいと今も考えている。「これから色んな人のために頑張って、道中でお世話になった人たちに間接的に恩返ししていきたい」(大山稜)