谷村新司さんの名曲「昴(すばる)」は、中国で多くの人々に愛されている。初めて北京で歌ったのは1981年。その後、両国関係の悪化で公演が中止になったこともあった。日中両国が平和友好条約を結んで40年となる今年も、9月に上海と北京での公演を終えた谷村さん。人と人とが織りなす日中交流の歩みを語ってもらった。
――9月の中国でのコンサートはどんな様子でしたか。
「上海では21日に1700人、北京は28日に3千人が来てくれました。最後に『昴』を歌いましたが、中国の人たちが日本語で大合唱してくれたんです。立ち上がってスマートフォンのライトをこちらに向け、波のようにわあーっと振ってくれました。それまでの歌でも口ずさんでいた人がいましたが、昴になると、まるで何かが爆発したような感じでした。涙する人もあちこちにいて」
「中国の人たちも素直に感動を示せる、そんな時代になったなあとしみじみ感じました。僕自身、この瞬間を迎えるまでたくさんの人に支えられて来ました。この国の人たちとの40年近くになる付き合いが頭をよぎり、途中で声が詰まりました。かつて経験のない感動を味わいました」
ポップスなんてなかった国で
――中国での公演は1981年が最初でしたね。アリスとして北京で歌いました。
「日中の青年交流の事業で、日本の代表として招かれました。(当時、共産党副主席だった)鄧小平(トンシアオピン)さんも主賓として会場に来られていて、ごあいさつし、『楽しみにしていますよ』と励ましの言葉をいただきました」
「あの頃、中国にはポップスなんてありませんでした。コンサートホールには緊張感すら漂っていました。公演が終わると、当時の中国を代表する歌手たちが楽屋を訪ねてきました。あの歌を覚えたいと言うのです。『昴』でした。僕が口伝えで教えると、すぐ覚えてくれました。前年に日本で発表した昴は、広東語でカバーされた香港や東南アジアで人気が広がっていましたが、大陸での始まりはここから。今年の中国公演は初公演当時からのファンと思われる人たちもいましたが、20代や30代の人たちが半分以上でしたね。昴が世代を継いで歌われていることを実感しました」
――なぜ昴は国境を超えて多く…