箝口令敷かれた戦時下の津波被害、警察署で写真見つかる——贯通日本资讯频道
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箝口令敷かれた戦時下の津波被害、警察署で写真見つかる

戦時中の情報統制で詳しい報道がされなかった「昭和東南海地震」(1944年)の被害状況を撮影した写真が、三重県警で見つかった。県南部の沿岸部に位置する尾鷲(おわせ)署の古い沿革誌に残されていた。県警へ情報公開請求をしたところ、津波に押し流され陸地に乗りあげたとみられる漁船の写真など20枚が開示された。


東南海地震は44年12月7日、紀伊半島沖で起こった。マグニチュード7・9で、津波も発生し、東海地方を中心に約1200人の犠牲者が出たとされる。


当時は太平洋戦争の真っただ中で、国民の戦意喪失を防ぐため、内務省が主な新聞社と通信社に、災害現場の写真を掲載しないよう通達。具体的な被害状況はほとんど伝えられなかった。被災地住民にも被害を口外しないように箝口令(かんこうれい)が敷かれたとされる。


写真は、1876年から1959年までの尾鷲署の歴史を手書きなどで記した沿革誌に残されていた。署員が被害状況を記録するために撮影したとみられる。写真は誌面に貼られ、撮影場所も写真の隣に書き込まれていた。


写真には、現在の尾鷲市南浦や天満浦などでがれきが山積したり、電柱が倒れたりするなどの被害が写っている。尾鷲市北浦町などでは、津波で流されて陸地に乗りあげたとみられる漁船が写されていた。


兵庫県立大学の木村玲欧(れお)准教授(防災学)は「これまで見つかった写真は数少なく、大変貴重な資料だ」と指摘。「写真を見て被害をイメージすることで、南海トラフ地震も想定されている地元の方が緊張感や切迫感を持つための教材になる」と話す。


沿革誌は尾鷲署の警務課で保管されている。東南海地震の写真が残っていることは県警内部でもほとんど知られていなかった。(三浦惇平)


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