「忠臣蔵」で知られる赤穂四十七士が吉良邸に討ち入った前日、赤穂藩家老だった大石内蔵助が、親戚宛てに書いた手紙が現存していることが2018年秋に報じられた。当時は飛脚の活動領域が広がり、都市間の通信も盛んになりつつあった時期。同志たちはどのようにして互いに連絡を取り合っていたのだろうか。残された手紙や史料、専門家への取材をもとに、討ち入り後の内蔵助らへの「インタビュー」の形で再現を試みた。
秀吉時代の足軽 その行動と思考は?
――初めまして。大石さんのファンの者です
大石内蔵助 ほほう?
――あ、息子の大石主税(ちか…