GⅠ4勝を挙げたオグリキャップ。地方競馬でデビューし、中央競馬に移って血統の良い馬を負かす姿が競馬の枠を超えて人気を呼んだ。中央に送り出した関係者の夢を、「名馬の里」で受け継ぐ人がいる。
GⅠ有馬記念の舞台、中山競馬場(千葉)は17万7千人超の大観衆をのみ込んでいた。1990(平成2)年12月23日、このレースを最後に引退する「芦毛(あしげ)の怪物」を見ることが、ほとんどの人の目的だった。
この年の秋、オグリキャップは天皇賞などGⅠ2レースに出走し、6着と11着。「怪物」は鳴りを潜めた。だが、有馬では大方の予想に反し、武豊騎手に導かれて優勝。ターフはオグリコールに包まれた。
その様子を岐阜市から駆けつけた小栗(おぐり)孝一さん(2015年に83歳で死去)は、スタンドから見守った。「ありがとう」。感動した大勢のファンから声をかけられたことを、同行した長女の江島勝代さん(60)は覚えている。
小栗さんは地方競馬の笠松競馬場(岐阜県笠松町)で競走馬を所有する馬主だった。オグリキャップはその1頭で、87年にデビューし、翌88年1月まで12戦10勝。当時、調教師として預かった鷲見(すみ)昌勇(まさお)さん(82)=岐阜県郡上市=が、東海一の若駒を決める名古屋競馬場の「東海ダービー」で優勝させたいと育て上げた。
だが、その強さを知った中央競…