香川県では日常の風景になった、讃岐うどん店の長い行列。しかし、30年前に平成が始まったころ、それは当たり前ではなかった。ブームのきっかけは、製麺所のうどん店を紹介するタウン誌の連載をまとめた1冊の本。「恐るべきさぬきうどん」の著者で四国学院大学教授の田尾和俊さん(62)が、ブームを振り返り、これからの讃岐うどんについて語った。
――讃岐うどんブームの立役者と言われています。
ある日、後輩に田んぼの中のうどん屋に連れて行かれた。注文の方法も分からず、自分で丼も取らなきゃいけない。でも、「これはいけるかも」と思った。そのときまでは、うどんを扱うと部数が落ちると考えていたけど、「(うどん屋を)探検しようぜ」と。そんなテイストで連載を始めた。
――讃岐うどんにとっての平成を振り返ると?
「恐るべきさぬきうどん」で始まったブームがピークになったのは、2000年代の初め。06年公開の映画「UDON」で2回目のブームが起きた。09年、瀬戸大橋を含めた高速道路が「休日上限1千円」になったときに3回目のブームが起き、頂点に達した。
うどん玉の販売が本業の「製麺所型」のうどん屋が、人気ランキングの上位に入るようになった。それまで讃岐うどんで取り上げられるのは、「フルサービス型」の立派な建物の老舗ばかり。まさに「下克上」だった。
――「怪しいレジャー」としての讃岐うどんに、人々がひきつけられました。
ある店では、掘っ立て小屋みた…