《親交のあった歌手、加藤登紀子さんの話》
市川猿之助さんに「歌舞伎で梅原猛生かして」悼む声続々
1989年、日本酒のイメージアップの貢献者に贈られる「日本酒大賞」に梅原先生が選ばれ、私が功労賞をいただいたときに初めてお会いし、それ以来、すごくかわいがっていただきました。毎年「ほろ酔いコンサート」というのを開いているのですが、「日本酒を飲む女性が増えたのは、私が日本酒PRに貢献したから」と威張ったら梅原先生、すごくウケてくださって。
私の歌にはアイヌの伝記をヒントに作ったものもあるのですが、そのきっかけは、梅原先生がアイヌ文化研究で知られる藤村久和先生を紹介してくださったから。その時に、梅原先生が「あなたがアイヌの歌を覚えて歌ってくれるといいなあ」とおっしゃったので、先生からいただいたミッションだと思って、何度も藤村先生のもとに通い、記録をとって勉強しました。
最後にお会いしたのは2011年、東日本震災後の対談です。印象に残っているのは「民衆の中にはすばらしい知恵と道徳性が備わっているが、いまの永田町は生かせていない」という言葉。日本の文明の知恵には大切なものがたくさんある。根源的に大切なものを見つめ続けなければならない。そういうことを表情たっぷりにお話しされていたのが心に残っています。
梅原先生は書くことだけではなく、歌舞伎などの表現を続けることで、生き生きとした人間の姿を伝えようとされていたと思います。対談のとき「この年にして語るべきものが見えてきた、人類哲学の大切なことを追究して書いていく」とおっしゃっていた。もう一度お会いできたら、続きのお話を聞いてみたかった。本当に残念です。