高槻城の発掘調査で見つかった「障子堀」と石垣(手前左)=2019年1月29日午後、大阪府高槻市、筋野健太撮影
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戦国時代のキリシタン大名・高山右近(1552~1615年)が城主を務めた高槻城(大阪府高槻市)で、堀の底を格子状に仕切った「障子堀(しょうじぼり)」が見つかった。30日、市教委が発表した。泥をためて敵の侵入を食い止める狙いで造ったとみられ、主君だった織田信長の技術を右近が発展させた可能性が高いという。
【動画】高槻城、構造に迫る発見 キリシタン大名の拡張工事跡か
障子堀は、北条氏の小田原城(神奈川県)など東日本に多い防御用の仕掛け。西日本では、大坂城や小倉城(福岡県)など数例しかなく、1600年の関ケ原の合戦以後に普及したと見られていた。高槻市教委によると、高槻城の障子堀は右近が城主だった1573~85年の間に築かれたもので、西日本最古級という。
見つかった障子堀
障子堀は幅16メートル、深さ4メートル。江戸時代に改築された本丸の北約50メートルにあり、東西約70メートルにわたって見つかった。堀の底は一辺1~4メートル、深さ20センチ~1メートルの不規則な格子状に仕切られ、泥がたまっていた跡があった。堀の南側斜面に築かれた石垣には、沈下を防ぐための「胴木(どうぎ)」と呼ばれる丸太が敷かれていた。右近の住む主郭(本丸)は石垣の内側だったとみられる。
障子堀や胴木を使った石垣の原…