所有物を必要最低限に抑えながら住む「タイニーハウス」と呼ばれる小屋への関心が高まっている。物やローンに縛られず、自由に暮らしたいという考え方が背景にあり、米国で流行が始まった。静岡県河津町浜の「天城カントリー工房」は2015年に小屋の製造・販売を始めた。
海岸線の道路から山の中にそれてすぐ、1700坪の敷地に同社の工房やショールームがある。その一角にある木製のモデルハウスを、土屋雅史社長(46)が見せてくれた。縦に長い箱形の小屋は広さ約18平方メートルという。総務省によると、住宅の延べ床面積の平均は約93平方メートル(13年)。その5分の1足らずだが、トイレとシャワー、キッチンなど最低限暮らせる設備がある。
室内には二つのロフト。それぞれ大人2人と1人が寝られるぐらいの広さがある。室外には約14平方メートルのウッドデッキ。「物は少ししか置けませんが、大人数人が暮らすことは可能」と土屋さんは話す。
箱の側面にはナンバープレートがついている。下にはタイヤがあり、ウッドデッキを取り外せば、トラックで小屋ごと牽引(けんいん)して公道を走れるという。家は2カ月ほどかけて工房で製造。運んでクレーンで設置するという。
大きさのほかにタイニーハウスの特徴と言えば、まず安価なこと。水道などの整備も含め、1千万円以内で購入できるという。移動可能なため、家ごと引っ越せる。子どもが大きくなれば、さらに小さな家をもう1棟買って「子ども部屋」にする選択もできる。土屋さんは「自由な暮らし方ができるのがタイニーハウスの特長」と話す。
タイニーハウスは英語で「小さな家」という意味。08年のリーマン・ショックをきっかけに、住宅ローンに縛られず、最低限の所有物で自由な暮らしができるとして米国で流行が始まった。日本でも東日本大震災をきっかけにライフスタイルが見直される中、雑誌で特集を組まれたり専門のネットメディアができたりするなど、関心が高まっているという。
工房は、かつては伊豆半島で、子や孫の代まで住めるようなログハウスを主に造っていた。だが、子が就職後も実家にとどまるケースは減り、家にお金をかけるのも難しくなってきた。そんな中で挑戦したのがタイニーハウスの製造と販売だった。
土屋さんは「日本では現実的に住宅としての普及はまだこれから」と言う。まだこうしたライフスタイルが浸透していないうえ、道路事情などもあって気軽には引っ越したりはできないからだ。工房では、3年間で30軒ほど販売したが、キャンプ場での利用や移動販売などの店舗用がほとんどという。
土屋さんは「小さい家に実際に住むイメージができず、購入をちゅうちょする人が多い。モデルハウスに泊まってもらうなどして少しずつ良さを伝えていきたい」と話す。
震災きっかけに購入「秘密基地の感覚」
天城カントリー工房が作った小屋に店舗兼住宅として2016年から一人で住んでいるのが、神奈川県三浦市でシーカヤックの体験ショップを運営する高宮太郎さん(49)だ。
3棟をつなげて使用しており、2棟を客の休憩所とシャワーとトイレ、1棟は住宅にしている。計約1400万円で購入した。
「確かに狭いです。でもそれがいい。秘密基地の感覚です」と高宮さん。住宅部分は18平方メートルにロフト付き。キッチンと机、椅子、テレビでほとんどいっぱいだ。広いロフトを寝室にしている。
東日本大震災をきっかけに、災害の多い日本で、お金をかけて大きな家を建てることに疑問を感じるようになった。店舗兼住宅を探していたところ、友人の紹介でタイニーハウスを知った。実際に狭い空間に入ると小学校高学年の時に竹やぶにこしらえた秘密基地を思い出し、わくわくした。値段も安いと思い、すぐに購入を決めた。
実際に住んでみると収納スペースがほとんどない。家の裏に倉庫を置き、収納できる椅子や本棚などは自作した。それでも「油断すると物がすぐにいっぱいになります」。引っ越す時に服や家具、家電、食器などあらゆる物を最小限にし、残りは捨てた。「今はやりの『断捨離』に近いものがあります」。買い物では欲しい物が本当に必要かを考え、無駄なものは買わないようになったという。(堀之内健史)