岡山県赤磐市出身の詩人・永瀬清子(1906~95)の誕生日と命日である17日、赤磐市内で永瀬の詩をピアノで弾き語る朗読会があった。皇后美智子さまが詩などを英訳した本が今月出版されるなど、永瀬の作品が様々な表現方法でよみがえっている。(雨宮徹)
美智子さまの英訳・朗読本に収録
美智子さまが永瀬の作品を含め、英訳や朗読した詩や歌を収録した「降りつむ」(毎日新聞出版編)は2月3日に全国の書店で発売された。
本によると、美智子さまは75年から英詩朗読会に参加するなどし、日本語の詩や和歌の英訳を朗読してきた。タイトルの「降りつむ」は永瀬が戦後に作った詩と同名で、かの詩に対する思い入れの強さがうかがえる。英訳詩のほか伴奏の譜面や朗読のDVDも付く。詩「降りつむ」は以下の通り。
かなしみの国に雪が降りつむ
かなしみを糧として生きよと雪が降りつむ
失いつくしたものの上に雪が降りつむ
その山河の上に
そのうすきシャツの上に
そのみなし子のみだれたる頭髪の上に
四方の潮騒いよよ高く雪が降りつむ。
夜も昼もなく
長いかなしみの音楽のごとく
哭(な)きさけびの心を鎮(しず)めよと雪が降りつむ
ひよどりや狐の巣にこもるごとく
かなしみにこもれと
地に強い草の葉の冬を越すごとく
冬を越せよと
その下からやがてよき春の立ちあがれと雪が降りつむ
無限にふかい空からしずかにしずかに
非情のやさしさをもって雪が降りつむ
かなしみの国に雪が降りつむ。
美智子さまとのつながりは、永瀬の代表的作品「あけがたにくる人よ」を86年に美智子さまが英訳し朗読したことがきっかけだという。それを聞いた80歳を超す永瀬が「まだ私の詩をよしとする人がいた」とし、同名の詩集「あけがたにくる人よ」を編んだ逸話が紹介されている。美智子さまは91年に「降りつむ」を英詩朗読会で読んだ。
赤磐市教育委員会の白根直子学芸員によると、永瀬は第2次大戦末期、東京から岡山に疎開した。「降りつむ」は戦後、赤磐の生家に移って農業をしながら詩作に没頭した時の詩だ。少女時代を雪の多い北陸で暮らした永瀬。敗戦の「悲しみの国」に寄り添おうとする姿が読み取れるという。
大人の世界 歌とピアノで 赤磐 沢さん、朗読会で弾き語り
赤磐市松木の「市くまやまふれあいセンター」で17日、22回目になる永瀬の詩の朗読会が開かれた。今年は神奈川県出身で現在は岡山市内を拠点に活動しているシンガー・ソングライターの沢知恵さんが、オリジナル曲に永瀬の詩などをのせて歌った。
演奏前に永瀬が実際に使っていたというちゃぶ台に向き合った沢さんは、20代から活動を始めたが永瀬の詩は「大人すぎる」との理由から遠ざけてきたと話した。しかし、年を重ね、岡山県内に住んだことで「地面の下からムクムクっと(イメージが)出てきた」。永瀬の詩に曲を付け数年前から歌うようになったという。
今回は晩年の永瀬が、亡き夫との祝言から死別までの日々をユーモアたっぷりに描いた詩「女の戦い」など11曲を披露した。「女の戦い」は約160行の長編詩で、沢さんは自作曲で詩を歌うのではなく、詩の朗読とピアノ演奏を場面ごとに交互にし、時に身ぶり手ぶりも交えながら「1人朗読劇」のように作品を披露して聴衆を沸かせた。
「いつか『女の戦い』に挑戦したいと思っていた。永瀬さんの戦いは温くて愉快で平和。初めて赤磐で披露でき楽しい」と話した。