上方最年長の落語家で俳優としても活動し、お笑いタレント明石家さんまさんの師匠として知られる笑福亭松之助(しょうふくてい・まつのすけ、本名明石徳三〈あかし・とくぞう〉)さんが22日午前3時過ぎ、老衰で死去した。93歳だった。葬儀は近親者で営む。後日、お別れ会を開く予定。
1925年、神戸市生まれ。48年、上方落語の継承に尽力していた五代目笑福亭松鶴に弟子入りした。民放草創期のヒットラジオ番組「漫才学校」に出演、59年から始まった吉本ヴァラエティ(後の吉本新喜劇)に参加して、作・演出にも携わった。「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」をはじめとするコメディー番組でも活躍し、幅の広い活動で人気を集めた。
90年代後半にはテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」でコメンテーターを務め、2000年代にはNHKの連続テレビ小説「まんてん」「わかば」などに出演を重ねた。
落語「三十石」に長唄「新曲浦島」を取り入れるなど、独自の工夫を施した高座でわかせた。「さんまの師匠としか紹介されない」とぼやきながらも、まな弟子との交流を語り、14年3月に大阪・フェスティバルホールで開かれた六代桂文枝さんの襲名披露公演の最終公演に、さんまさんとともに登場した。落語家の明石家のんきさんは長男。
笑福亭松之助さんの訃報(ふほう)を知り、上方落語協会相談役の四代目桂春団治さん(70)は「ずっと一緒にやって来た先輩が逝ってしまった。落語を愛し、情熱を感じさせてくれる方だった」と故人をしのんだ。
約30年前、怪談噺(ばなし)「へっつい幽霊」の稽古を付けてもらった。「一般には野放図なムードだと思われがちだが、とても緻密(ちみつ)な人。細かい指導をしてもらった」。稽古のあとも、たびたび手紙が来たという。「ネタに関することから、落語家としての心構えや人付き合いについて教えてくれた。大変きれいな字だった」