三重県指定文化財で、玉城町にある田丸城跡の人気がじわじわ高まっている。南北朝時代の1336年、北畠親房が後醍醐天皇を迎えようと南朝側の拠点として築かれた城は、戦国時代に城主となった織田信長の次男・信雄が天守閣を建てた。そんな城の魅力に迫る。(安田琢典)
「幻の天守閣」は安土城のモデルにも?
著名な歴史の舞台であり、地域の代表的な優れた史跡として、田丸城跡は2017年4月に日本城郭協会の「続・日本百名城」に選ばれた。
田丸城は江戸時代の1619年、紀州徳川家の家老だった久野宗成が城主となり、以後、9代にわたって1869年まで久野家が統治した。
1928年には朝日新聞社の創始者で、今の玉城町出身の村山龍平(1850~1933)が、田丸町(現在の玉城町)が城跡を買い取れるように、当時の3万円を寄付したことでも知られる。
春の到来を予感させた2月上旬、玉城町教育委員会の学芸員・田中孝佳吉さん(30)に城跡を案内してもらった。
大手門があった場所には橋がかけられ、外堀の内側には玉城町役場。道なりに歩くと、一時期は民間の手に渡り、1984年に町が買い戻した富士見門が見えてくる。その先は二の丸の跡地に建てられた町立玉城中学校に突き当たり、真向かいには、大きさの異なる石を荒々しく積み上げる「穴太(あのう)積み」と呼ばれる石垣がそびえ立つ。
石垣の上には天守台が鎮座する…