学問の神様、菅原道真を祭る亀戸天神社(東京都江東区)。天神さまのふもとには、くずもち、まんじゅう、江戸切り子といった昔ながらの店が軒を連ねる。「天神せんべい 大木屋」もその一つ。かつては何軒もあったせんべい屋だが、個人経営で続けているのは大木屋だけになった。
つぎ足し、つぎ足し、守ってきた味
明治40年創業の大木屋を切り盛りするのは大木美恵子さん(46)。4代目として7年前に店を引き継いだ。
美恵子さんが産声をあげたころ、せんべい販売は最盛期だった。15枚入りの大袋は飛ぶように売れた。店の看板商品である五角形の「合格せんべい」も売り出し、評判になった。
味を決めるしょうゆは、創業以来つぎ足し、つぎ足ししながら守ってきた。美恵子さんにとっては「生まれた時からしみついている。後世にも残したい」味だ。
しかし、高度成長期の終わりとともに、せんべいは売れなくなっていった。大手による工業化も進み、中小のせんべい屋は価格面でも苦戦を強いられた。大木屋の売り上げもピークの4分の1ほどに落ち込んだが、先代の父は苦しくても事業を続けた。
「途絶えさせたくない」
だが、先代が亡くなり、だれが事業を継承するかが問題になった。美恵子さんは3人兄妹の末っ子。別の仕事に就いていた兄と姉に継ぐ意思はなかった。
美恵子さんは有名ホテルのウェディングプランナーなどとして働いていた。でも「これまで守ったせんべいの味を途絶えさせたくない」と、事業を引き継いだ。
店を切り回すのは、覚悟していた以上に大変だった。原材料費のほかに、火をたきっぱなしにしてせんべいを焼くのでガス代もかかる。せんべいの赤字を、マンションの家賃収入でなんとか補うようなやりくりだ。
ピーク時は、住み込みで4人の職人がいたが、いまは越河進さん(86)ただ1人になった。頼りの越河さんは昨年末、仕事中に足をぶつけて血を流し、入院した。それでも病院に通いながら仕事を続けてもらっている。
「合格せんべい」など店自慢の厚焼きを、芯が残らないよう、ふっくらと焼き上げるには、焼く時間や火の強さなど微妙なさじ加減がものをいう。越河さんの50年以上のノウハウあってこそだ。だが、越河さんがいつまで働けるかはわからない。そのノウハウを美恵子さんが受け継ぐことは「無理」だという。
ベルトコンベヤー式の古い機械もしょっちゅうとまる。せんべいが滞留して焦げたり、落ちたり。素早く機械を調整して流れを止めないようにするのも越河さんにしかできない作業だ。新しい機械を買いたくてもお金が、ない。
コンビニから売却話
事業を引き継いだ後、大手コンビニから「店ごと買ってコンビニにしたい」と持ちかけられたことがあった。
いま考えても「こんなおいしい…