脳卒中で半身不随となりつつも創作を続けた北海道鶴居村の日本画家、樋田(といだ)洋子さんが1月、77歳で他界した。死の直前まで手がけた作品が没後の今月、公募展「春の院展」(主催・日本美術院)で13回目の入選。発症前の1997年秋の「再興院展」(同)以来、22年ぶりに公募展入選を果たした。
樋田さんは1941年、茨城県古河市の出身。東京芸大で日本画を専攻、在学中の65年に院展に入選して頭角を現し、卒業制作は学校買い上げとなった。大学院在学中には日本美術院院友となり、公募展最高峰のひとつである院展で、春と秋それぞれ12回入選を果たすなど実績を積んだ。
「女性画家は子供を生むと描かなくなる」という当時の風潮に異を唱え、医師の夫・精一さん(81)と4人の子を育てながら画業に注力。大学や絵画教室の講師も務めた。
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暗転は98年春だった。都内の自宅で展覧会応募の準備中、動脈瘤(りゅう)破裂によるクモ膜下出血で昏倒(こんとう)。入院生活は5年に及び、気管切開で声帯からの発声ができなくなった。左半身麻痺(まひ)、左側にあるものを認識しにくくなる「左半側空間無視」が起こり、構図が画面右に偏るようになった。画家として大きな痛手だった。
2003年に精一さんと鶴居村に移住してリハビリに励んだが、07年には乳がんが見つかり、闘病中に間質性肺炎を発症。薬の副作用で糖尿病も患った。
次々襲う病魔。だが「必ず回復して画壇に戻る」という強い意思が洋子さんを支えた。道東の自然の中、車いすに乗って花や流木などのスケッチを続けた。震える字で応募書類を書いて院展への挑戦も再開したが、結果は伴わなかった。
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今年の「春の院展」に向け、洋子さんは介護のため同居していた次男の竜男さん(43)と入選への戦略を組み立てた。左側を認識しにくくなる障害の影響が出ないよう、180度回転させて描けるもの、真四角でなく絵筆を運びやすい縦長の構図になるものを題材にしようと考えた。
北海道固有で描かれる機会が少ないモチーフ。枯死した木のように死を思わせるより、生命の輝きを想起させるもの――。選んだのは添い寝する家族のように3枚並んだコンブだった。
洋子さんは関節リウマチを発症…