童謡「赤とんぼ」の作詞者としても知られる詩人の三木露風(みきろふう)(1889~1964)が、青年時代に友人に宛てた手紙やはがきなどがみつかった。出身地の兵庫県たつの市の市立龍野歴史文化資料館が17日発表した。友人との交友が絶えた寂しさや、文壇人として生きる決意などが率直に記され、専門家は、若き露風の揺れ動く心情がつづられた貴重な資料とみている。
資料館によれば、昨年12月、龍野藩士の子孫にあたる村田家から、1905(明治38)年2月の消印があるはがき、原稿用紙6枚(1枚不明)に書かれた手紙、歌の記された短冊1枚がみつかった。いずれの宛名も「村田詩泉」とあり、友人だったとみられる。
露風は高等小学校のころから句づくりを始め、龍野中学校から岡山の閑谷(しずたに)学校に転校して詩や句の創作に没頭し、05(明治38)年に同学校を中退して上京。手紙の末尾に「十一月十六日」とあり、上京した翌年秋に書かれたとみられる。
手紙の内容は「龍野中学時代の友人で今だに手紙を呉(く)れるのはあゝ只(ただ)君一人だ」と嘆くほか、「あの頃は君と共にずいぶん盛に気焰(きえん)を吐いたっけねえ」と懐かしむ様子も。自らの性格を「人に拗(す)ね世に拗ね」と例える一方で、「文壇の人として死ぬ可(べ)き事を君に茲(ここ)に誓って置くに躊躇(ちゅうちょ)しない」と自らが進む道への決意も表明した。詩泉が露風に軍歌を書いてもらうように頼んでいたとみられ、「強ひて書けといふなら書くが碌(ろく)なものは出来ないよ」と返事していた。
資料館の新宮義哲学芸員は「露風は北原白秋(きたはらはくしゅう)とともに『白露時代』を築いた天才詩人。青年期の寂しさや自信にあふれた決意が長文の手紙に記され、若さがにじむ人間らしさが垣間見える」と話す。
手紙などは今月27日から、資料館で展示される。6月2日まで。問い合わせは資料館(0791・63・0907)へ。(伊藤周)