1月12日に93歳で亡くなった哲学者の梅原猛さんのお別れの会が21日、京都市内のホテルで開かれた。親交のあった約500人が知の巨人と呼ばれた梅原さんを悼み、一般からも別れを惜しむ人が多数訪れた。
梅原さんが創設に尽力し、初代所長を務めた国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の小松和彦所長は「先生は日文研のまさしく『父』でした。学問をこよなく愛し、徹底的に常識を疑う学者でした。構想力・想像力は学問という枠を超えてあふれ出し、多彩な文芸・創作活動にまで広がっていました。臓器移植や原発など現在の問題に対しても鋭く問題提起し続けた学者でもありました。知の巨人、学界の風雲児、奇人・変人・天才、京都の妖怪などさまざまに評されましたが、そうした評価もまた先生は面白がっていたかに見えました」とあいさつ。
哲学者の鷲田清一さんは「誰もが認めるように破格の人でした。しかし、私たちと一緒にまみれてくださる破格でした。大胆な推論を打ち出す人でしたが、奥底に潜むのはいつも悲嘆に暮れる人に赤子のような安らかさをもたらしてあげたいという思いでした」とお別れの言葉を述べた。中国文学者の井波律子さん、人類学者の中沢新一さん、風俗史家の井上章一さんも梅原さんとの思い出を振り返った。
会場では、梅原さんがアイヌに深く関心を寄せていたことにちなみ、アイヌ詞曲舞踊団モシリによる演奏・舞踊も捧げられた。(久保智祥)