元ライブドア社長で実業家の堀江貴文さんが出資する宇宙ベンチャー、インターステラテクノロジズ(IST)が開発した小型ロケット「MOMO」3号機が30日、北海道大樹町から打ち上げられる。3度目の挑戦で目指しているのは、日本の民間単独で初となる高度100キロへの到達だ。「カーマン・ライン」と呼ばれ、国際航空連盟(FAI)がこの境目の先を「宇宙」と定義している。
ホリエモンロケット、いざ宇宙へ 3度目の挑戦
初めてこの高度を超えたのは、第2次世界大戦中の1942年にドイツが開発した弾道ミサイル「V2」と言われている。全長14メートル、重さ13トンで、300キロ先に5分で到達する。「報復兵器」と恐れられ、英国やオランダなどに3千発以上撃ち込まれて、多くの人命を奪った。
V2のエンジンには大型化しやすい液体燃料が使われており、その後のロケットエンジンの「原型」となった。戦後、V2を開発したドイツの科学者フォン・ブラウンらを迎えた米国は46年、捕獲したV2を組み立て、高度100キロ超に打ち上げることに成功。V2を元に改良機を次々に開発した。
旧ソ連も同様にV2の技術を元にロケットを開発し、米国と激しい宇宙開発競争を繰り広げた。57年に世界初の人工衛星「スプートニク」を打ち上げ、61年にはユーリ・ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行に成功した。対する米国も、フォン・ブラウンの指導により、全長100メートル超のロケット「サターンV」を開発。69年、人類を月に送った。
一方、日本のロケット開発の源流は、55年に打ち上げた長さ23センチの「ペンシルロケット」だ。東京大学生産技術研究所の糸川英夫教授が考案した固体燃料ロケットで、「ベビー」「カッパー」と改良が進み、60年7月11日、秋田県で打ち上げられた「カッパー8型」が日本で初めて高度100キロを突破した。
当時の朝日新聞は「地上100キロのカベ破る」との見出しで、「ペンシルロケットを打ち上げてから通算69発目、やっとあげ得た貴重な成果」と報じた。
日本はこの10年後の70年、「ラムダ」で日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功し、宇宙探査の扉を開いた。こうした技術は東大宇宙航空研究所に引き継がれ、現在の宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙科学研究所に至っている。(石倉徹也)