天皇陛下が皇太子時代、栃木県日光市の日光田母沢(たもざわ)御用邸へ疎開していた時の様子が、東京大付属日光植物園(同市花石町)に保存されていた文書に記録されていた。護衛に当たっていた近衛兵の行動をまとめた内容で、陛下を励まそうと園の広場で米軍を鬼に見立てた「桃太郎劇」が行われた記録も写真とともに残っていた。
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植物園に保存されていたのは「近衛歩兵第一聯隊(れんたい) 日光田母沢御用邸儀仗(ぎじょう)衛兵」という文書のコピーで、A4判28ページ。近衛兵だった1人が仲間に声をかけて寄稿や写真を集め、県や植物園などからも資料を提供してもらい、1999年に作成された。
文書によると、学習院初等科5年だった天皇陛下は終戦前年の44年7月、疎開のため日光田母沢御用邸に移った。一緒に疎開し、日光金谷ホテルに滞在していた学習院の3、5年生約100人と、植物園に設置された御学問所へ通った。
近衛兵たちによる「桃太郎劇」が御学問所前の広場で行われたのは、翌45年の3月29日。群馬県の飛行機工場の爆撃に向かう米軍のB29が、日光上空を飛行するようになっていた頃だ。
戦局が緊迫する中、近衛兵たちが「われわれが桃太郎の劇を演じて、殿下のご高覧に供しよう」と発案。脚本は中尉や少尉らが手がけた。劇では第二小隊が桃太郎軍を、第三小隊が鬼軍を担当。桃太郎軍が鬼が島を攻撃し、B29で反撃する鬼を機関銃で撃ち落とし、突撃をして降伏させるというストーリーだった。
文書によると、当日は春の陽光…