重大な刑事事件の裁判に市民が参加する裁判員制度が始まって今月で10年になる。福岡地裁の柴田寿宏裁判官(54)が朝日新聞のインタビューに応じ、制度によって裁判がどのように変わったのかを振り返った。
――裁判員制度が開始10年を迎えます。
開始前は不安が非常に大きかった。刑事裁判官は特殊な経験や能力を使う仕事で、普通の市民にできるわけないんじゃないかと思っていた。いま、当たり前のように裁判員裁判が行われ、それを肯定的に受け止めている自分がいる。とても感慨深い。
――裁判はどう変わりましたか。
制度が始まる前の裁判では、裁判官が供述調書などの大量の証拠を裁判官室や自宅で何度も読み込み、真実を見いだそうとしていた。検察官や弁護人は専門用語や条文を、早口でペラペラとしゃべっていた。傍聴している人や被告は意味がわからなかったと思う。
裁判員が大量の証拠を読み返すことはできないので、法廷で直接聞いた話を基に、裁判員も裁判官も一緒に考えていくことになった。(その結果)調書の字面ではわからないニュアンスも正確に伝わりやすくなった。検察官や弁護人は常に裁判員が見ている前提で活動し、分かりやすさという観点では格段に変化した。今までは法律家が裁判を小難しくしすぎていた。
――制度初期と現在の違いは。
初期は供述調書中心の裁判から一挙には転換できなかった。被告から話を聞く前に供述調書を法廷で朗読していたが、ある時期からほとんど読まれなくなった。いま思えばおかしいですよね。本人から話を聞く前に、検察官が聞き取った内容を法廷で読むことに、市民も不自然さを感じたと思う。裁判官の意識が変わり、法廷で考える姿勢が徹底されてきている。
――裁判員は審理を十分理解できていますか。
大多数の事件では理解できていると感じている。一方、責任能力が争われ、専門家の証言を基に考えなければいけない事件などは、いきなり参加して十分に理解するのは難しいケースもある。
――これまでの裁判員裁判で印象的だったことは。
裁判長として死刑求刑の事件を担当した。小学生の女の子が殺害された事件。死刑か無期懲役かの量刑が重要な争点で、市民に考えてもらわなければいけなかった。裁判員の負担は大きく、疲労困憊(こんぱい)していた。よく寝られなかったという人もいた。
判決は無期懲役。被告、検察の双方が控訴した。判決の後、「困ったことはないですか」という手紙を裁判員に出した。何人かから「大丈夫です。一生懸命やることはやったので」というお返事があり、少しは安心した。お返事いただけなかった方は、今頃どうしているかなと思う。
――印象に残った裁判員の発言は。
裁判官としては比較的、「それほど悩まなくてもいいかな」と思った事件で、裁判員が「刑を決めるのがすごく重い」と話していた。自分が決めた刑で被告の人生が具体的に変わることをイメージし、「1年間刑務所に入るのが長くなるのは大変」などと言っていた。「慣れで裁判をしてはいけないな」と自戒させられた。裁判員が真摯(しんし)な態度で裁判に取り組むことには、毎回驚いている。
――裁判員候補者の辞退率は高止まりです。改善点は。
裁判の日数をできるだけ短くすることが大事だと思う。長ければ長いほど参加しづらい。本当に必要な証拠は何なのかを検察官と弁護人、コーディネートする裁判官がきちんと考えなければならない。検察官や弁護人が証拠の請求を出せば出すほど審理日程が延びていくが、裁判員からは「なぜ、この証人に話を聞いたのか、全然分かりませんでした」と言われることもある。
審理の日程が延びた結果、仕事の都合がつかない人も出てくることもある。検察官と弁護人が最善を尽くしたいのはわかるが、市民の負担ももう少し考えてほしい。
事件の核心をきちんと裁判で明らかにしていくための習熟の度合いは、まだまだ法曹三者に不足している。改善する必要がある。
――証拠が公判前に絞られすぎているとの指摘も。
実際、「もうちょっと証拠が見たかった」「どうしてこの人は法廷で話さないのですか」という声を裁判員から聞くことはある。裁判員は一人ひとり生きてきた経験も違うし、興味関心を持つところも違う。全部を満たすのは、今の刑事裁判では無理がある。刑を決めるのに必要のない証拠まで出てきて、裁判のポイントが分からなくなるのは良くない。
――遺体の写真などの「刺激証拠」でショックを受ける裁判員もいる一方、「判断のため見たかった」という声もあります。
個人差が非常に大きい問題。一人でもそんな恐れがある場合には、慎重に考慮する必要がある。遺体の写真の代わりにイラストなどを取り調べることもある。どうしても必要なら調べるが、多くの裁判では刺激の強い写真を見なくても裁判はできるのではないか。
――裁判員裁判をやってよかったと思いますか。
やってよかったと思う。私にとって大きな転機になった。制度が変わり、刑事裁判が本来はどうあるべきなのか、いや応なく考えざるを得なかった。それまでは何の疑問も思っていなかった、供述調書をひたすら読み込む裁判が、あるべき姿とはちょっと違うのかなと、思うようになった。
法律は本来、常識に根ざしたもの。刑事裁判も本来は市民の常識の範囲で十分に意見を述べられるものだと、考えるようになった。
――「市民の視点の反映」という制度の目的の一つは実現できていますか。
実現できていると思う。事実認定の検討で、裁判官だけだったら思いつかない意見が出るのは日常茶飯事だし、量刑の変化という形でも表れている。裁判官は非常識だとよく批判されるが、裁判は常識にかなっている必要がある。そういう意味では市民の常識を取り入れるのは当然だと思う。
――これから裁判員になる人に望むことは。
多くの裁判員はいい経験だったと言ってくれている。人生の中で転機になっているという人も非常に多く、「視野が広がった」と言っている。何日か生活を犠牲にするが、いろいろと得られるものがあると思う。裁判員裁判って、裁判官、検察官、弁護人をすごく成長させてくれる制度なんです。市民に積極的に参加していただき、制度をよりよいものにしていきたい。裁判官としては、市民に安心して参加していただける準備をしたい。(聞き手・一條優太)
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しばた・としひろ 岡山県出身。1994年に任官し、福岡地裁小倉支部部総括判事や福岡高裁判事を歴任。那覇地裁部総括判事を経て今年4月から福岡地裁部総括判事。
福岡県飯塚市で92年に女児2人が殺害された「飯塚事件」で、死刑を言い渡した一審判決(99年)の審理にも加わった。