2005年に始まったクールビズは、もう15年目。政府が省エネや温暖化対策のために呼びかけ、年中行事として定着しつつある。この上意下達の軽装化は、私たちをどう変えたのか。(聞き手・高重治香、諏訪和仁)
女性、横並びでは 中野香織さん(服飾史家)
政治家などが働きかけて、暑さをやわらげるために服装を変えようとする試みは、世界でもたびたび起きています。例えば英国では1930年代、「男性服改革党」が主導し、半袖半ズボンや通気性のよい新しい正装を提案しました。でも、ここまで成功したのは、日本のクールビズが初めてではないでしょうか。
明治のはじめに太政官布告をきっかけに一気に洋装が広がったように、上から言われれば、横並びで装いを変えるところがある日本人の傾向とも相性がよかったのかもしれません。日本の衣服は「服従と忖度(そんたく)と同調」によって成り立っているのですね。
ただ、79年に大平正芳首相らが着た半袖スーツの「省エネルック」は、浸透しませんでした。長袖上衣(じょうい)と長ズボンという型を崩すことへの抵抗感があったのだと思います。それに対して、ちょっとネクタイをはずしてみよう、というクールビズは、受け入れられやすかった。いったん広がり出すと、スーツにリュックやスニーカーを合わせるのも当たり前になりました。それをいくら服飾評論家が「間違っている」と言っても、日本の暑さや満員電車という環境で働く人たちは、せめて服装だけでも楽でないとやっていられないのです。
クールビズは、産業構造の変化の波にも乗りました。ビジネススーツの直接の起源は19世紀半ばです。近代資本主義の広がりとともに、まず資本家が経済力を示す手段として着用しました。やがて労働者も大量生産のスーツを身につけるようになりました。誰が着てもそれなりに見えるスーツや威厳を与えるネクタイは、ビジネスマンを守ってくれる武器でした。同時に、資本主義の「歯車」であることの象徴にもなったのです。
資本主義のひずみとして格差が明確になった21世紀、本格的に拡大したのがIT産業です。彼らは、既存のシステムの外でビジネスを作ろうと、Tシャツにデニムのスタイルで、ネクタイを「隷属の首輪」とさえ呼びました。
スーツという武器を手放した男…