残された遺品に「ありがとう」と頭を下げ、手放していった――。妻を亡くした男性が「感謝離」をつづった投稿に、共感が広がっています。日常生活での喜怒哀楽を男性が発信する朝日新聞「男のひといき」欄への投稿です。故人や自分の生き方に思いを巡らせた人々の声とは。
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神奈川県鎌倉市の無職、河崎啓一さん(89)から届いたのは、こんな投稿でした。
「感謝離」ずっと夫婦
妻が3月に亡くなった。世帯をもって62年、かけがえのないパートナーであった。ともに暮らした老人ホームの収納棚に残された衣服の整理を始めた。つらいな。
「断捨離」という言葉が世に喧伝(けんでん)されてからずいぶん日がたつが、いまだに衰えを知らない。なんのかんのと言っても、そう簡単に捨てられないからであろう。
寂しさを吹っ切らねばなるまい。妻の肌を守り、身を飾った衣装たちに「ありがとう」と、一つ一つ頭を下げながら袋に移していった。「感謝離」という表現が頭をよぎった。うん、こいつはいい。
それにしても、よく着たもんだ。すっかり貫禄がついて古びている。ほら、このパジャマなんか襟がすり切れているじゃないか。捨てるのは切ないが、私が天国に行ったら一緒に新しいのを買いに行こう。新陳代謝だ。ああ、これは「代謝離」だ。
気持ちが晴れた。棚から袋へ運ぶ手の動きがリズミカルになった。62年のパートナーだった、と考えたのは誤りだった。2人の間に終止符は存在しない。これからもずっと夫婦だ。どこまでも。いずれ会える日が来る。会えば、まず出かけよう、ショッピングに。
(5月19日付朝刊リライフ面に掲載)
読者からの反響
この投稿に対し、読者から多くの反響が寄せられました。一部をご紹介します。
《感謝離、代謝離、いいことば…