高校野球熱の高い愛媛県。瀬戸内海に浮かぶ大三島の球児たちも、熱い。
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島で唯一の高校、今治北高校大三島分校。主将・金子真人(まなと)君(3年)とバッテリーを組む越智千裕君(1年)は、金子君と投手と捕手を交代で務める。1年生ながらチームの要だ。
でも、中学生のときは「松商にあこがれていました」。甲子園春夏あわせて出場42回、優勝7回の伝統校・松山商でプレーする姿を思い描いていた。
考えが変わったのは、昨夏の愛媛大会だった。今治市営球場で今治北大三島の初戦を見た。スタンドで分校を応援していた越智君の胸は高鳴った。全校応援の大声援。島の大人たちも集まって必死で声をあげていた。
自分が打席に立つ姿が頭に浮かんだ。「自分もこんなに応援してもらえたら、すごくいいな」。ふるさと大三島の分校に進学しようと決めた。
部員は9人。少人数での練習には戸惑ったが、もう慣れた。少人数のメリットを「みんなのことがわかって仲がいいし、人が少ない分、ノックもいっぱい受けられるんです」と教えてくれた。初めて臨む今夏の愛媛大会が「めっちゃ楽しみ」だという。
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島に残り、地元の野球部でプレーする球児もいれば、島を出て大きなチームで野球をする球児もいる。
6月上旬、雨上がりの日。愛媛大会に第2シードで出場する今治西のグラウンドは、所々に水たまりができていた。
この日は実戦練習はなく、主将の沢田和希君(3年)は打撃練習をしていた。「んーっ」とうなりながら、気合を込めてバットを振る沢田君。彼もまた、大三島出身だ。
沢田君は小学生のとき、島の野球チームでプレーした。6年生のときは主将を務め、投手として今治北大三島の主将・金子君とバッテリーを組んでいた。「なかなか勝てる試合は少なかった」という沢田君。「勝てたときはいつも接戦。うれしかったです」
大三島中に進学したが、「甲子園に行くために、中学から硬式野球がしたかった」。硬式野球部がない中学では文化部に所属し、知人の紹介で高知県の硬式野球チームに入団した。平日は早めに帰ってバットを振り、週末は親の運転する車で高知へ行き、練習に参加した。「みんなと違うことをしてきたけど、島の友達は『頑張れよ』と応援してくれた」。沢田君は振り返る。
高校は甲子園出場を狙って、伝統校・今治西を選んだ。島を離れ、学校近くに家族と住むが、今でも、スマホには島の友達から「甲子園出たら見に行くよ」と連絡が届く。春の県大会で投打の中心選手として活躍し、優勝に貢献した沢田君は言い切る。「島の人たちに恩返しするため、甲子園に行きます」
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「今治西の環境が恵まれているのは間違いない」。大野康哉監督(47)は話す。初めて監督を務めたのは大三島の隣、伯方島にある伯方高校(現・今治西高校伯方分校)だった。1999年の就任当初、現役時代を過ごした今治西に比べ、部員は少なく、施設も用具もそろっていない。
「戸惑いもあった」というが、懸命の指導で伯方野球部は次第に実力を伸ばした。2004年の春季県大会では準優勝。「たくさんの人に応援していただけるようになった。伯方での経験は何よりの財産です」
今治北大三島や今治西伯方のように、少人数で頑張る島の球児たち。大野監督はチームの枠を超え、エールを送る。「地域によってそれぞれの期待がある。自分たちの受ける期待を大切にしながら野球に取り組んでほしい」(照井琢見)