打撃マシン、グラウンド整備用のトンボ、スプリンクラー、水まき用のホース――。富谷の松原亮太君(3年)に、直せない野球用具はない。グラウンドの片隅にある倉庫には、手がけた用具がぎっしり。自他ともに認める「修理名人」は、24人の野球部員の一員として、チームへの貢献を誓う。
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ところどころ塗料のはげた2台の青い打撃マシンは、年に何度か動かなくなる。打撃練習を支えるマシンが使えないのは、部の大ピンチだ。そのたびに松原君が駆けつける。原因はたいてい接触不良。本やインターネットを参考に、思いつく原因を片っ端から調べていく。去年の夏は、暑すぎて機械の中の接着が溶けてしまっていた。自分のハンダごてを持ちこんで修理することもある。
幼い頃から手を動かすのが好きだった。ぜんそくの症状があり、友達と外で走り回る代わりに、家で母と手芸や毛糸の織物、折り紙で遊んでいた。家具作りが趣味の祖父の影響もあり、小学生から金づちやのこぎりも握った。中学では電子工作に没頭。携帯用の小さなハンダごてを買ってもらい、簡単なロボットを作ったこともある。
一方、ぜんそくの改善のためにと、小学2年で野球を始めた。少しずつ練習に取り組むうち、仲間と同じように体を動かせるようになり、次第にぜんそくも良くなった。仲間や指導してくれる大人との出会いに、「人との付き合い方を学ぶことができた。野球は自分の基礎だと思う」。身長は156センチと小柄だが、プレーでは手先の器用さを生かしたコントロールに自信がある。
高校でも野球部を選んだが、走り込みなどの厳しい練習についていけず、くじけそうになったこともあった。転機は1年の夏。練習後に、打撃マシンが動かなくなった。「直してみます」。修理を買って出た。調べると、コンセントのプラグの線が切れていた。マシンが動くようになり、仲間が喜んでくれた。
「自分もチームのためにできることがあるんだ」
自分の役割を見つけ、小さな自信が湧いた。
周囲の信頼は厚い。藤原駿主将(3年)は「何かが動かなくなったら、いつも松原が呼ばれる」。平井安弘監督は「助かっています。チームのために何ができるか、彼なりに考えて努力している」と評する。
これまで、時間がかかることはあったけど、直せなかったものはない。複雑な故障のときは早めに登校し、朝練の前に修理にとりかかる。今まで一番苦戦したのは、金属の板が曲がってしまった倉庫の棚。金づちで1時間たたいて、ようやく元の形に戻した。
「自分はスタメンになれるような選手ではない」と思っている。それでも最後の夏は、コーチャーやベンチから声を出して、グラウンドの選手たちを励ましたい。「少ない人数でも、自分にできることで、役割を果たしたいから」