「政治は勝っては泣き、負けては泣くものだ」。自民党総裁選に立候補表明した谷垣禎一財務相は最近、00年に加藤紘一氏らとともに森喜朗首相(当時)に退陣を迫った「加藤の乱」を振り返ってこう語った。この時、森首相への不信任票を投じに国会に出向こうとする加藤氏を涙ながらに慰留した姿は記憶に新しい。昨年9月に谷垣派会長となったが15人の小所帯だ。総裁選は安倍晋三官房長官の当選が有力視され、「勝っては泣く」道を切り開くのは容易ではない。
1945年3月、東京生まれの61歳。麻布高校を経て72年に東大法学部を卒業した。元来弁護士志望で、本人は「司法試験に何度落ちたかわからない」と語り、79年10月、34歳で合格するまで浪人生活に甘んじた。
新米弁護士時代の83年、父の専一元文相が急逝。当時、政界に関心はなかったものの、父が所属していた鈴木派(当時)の宮沢喜一元首相らから強く推され、衆院京都2区補選(当時は中選挙区)に出馬、初当選した。以後連続9回当選。
初入閣は橋本内閣の科学技術庁長官(97年9月)。98年7月には、首相経験者でありながら小渕内閣の蔵相(当時)に就任した宮沢氏の下で大蔵政務次官に就任。宮沢氏は蔵相就任の条件として谷垣氏の政務次官を提示した経緯もあり、谷垣氏への信頼を物語っている。その後、金融再生委員長も務め「経済政策通」との評価が定着した。
小泉内閣では、02年9月から国家公安委員長を務めた後、03年9月には財務相に転じた。本人は池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮沢各氏の歴代首相を生んだ名門派閥の「宏池会」出身として「保守本流」意識が強い。ただ党三役は一度も経験していない。
母方の祖父は、戦前、中国で汪兆銘南京政府樹立を仕掛けた影佐禎昭陸軍中将。同政府の財政顧問は、今回の総裁選に不出馬を表明した福田康夫元官房長官の父、赳夫元首相という不思議な因縁も。その祖父の影響で、学生時代から「四書五経」などの漢文や宋代の詩人・蘇軾(そしょく)の漢詩を愛読する。
東大在学中はスキー山岳部に所属したアルピニスト。週末にはサイクリングも楽しむ。あまり知られていない趣味は落語鑑賞。古今亭志ん生ら昭和の名人の実演に接したのが自慢の一つだ。
【平元英治】
■谷垣氏の主な主張
▽国民と国家の信頼の「絆」をつくることが政治家の最高の責任
▽年金などの社会保障を維持するには消費税率の5%引き上げが必要
▽アジアは成長センター。中韓を含め密接な関係を構築すべきだ
▽靖国神社参拝は控える。A級戦犯合祀はのどに刺さったトゲだ
▽人、モノ、カネ、情報が外国から日本に集まる社会にする
毎日新聞 2006年7月27日