阪神電鉄は7日、築81年で老朽化が進む阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)改修計画の基本構想を発表した。07年のプロ野球シーズン後に着工予定で、工費は約200億円。耐震補強工事の他、「フィールドボックス(砂かぶり)席」の新設などを盛り込む一方、「歴史と伝統の継承」を構想の柱に、現在の外観は維持。内野席上部の銀傘や外壁を覆うツタも一時撤去後に新たに復元する。改修は高校野球やプロ野球のオフシーズンに進め、10年3月に完了予定。
同球場は1924年8月に完成。第2次大戦や阪神大震災などを乗り越えてきた。しかし、国内プロ球団の本拠地球場としては最古で、耐震面などでの不安も。このため今回の改修で柱、はり、壁などを増強し、安全性を確保する。
一方、「狭くて窮屈」と指摘のあった内外野席を改良。内野、アルプス、外野各席で前後の間隔を5~20センチ程度広げる。総座席数は現在の約5万席から約4万7000席になる。砂かぶり席はファウルグラウンドにせり出す形で3000席設置。この他、銀傘下にバルコニー付きの「スイート席」(20室300人分)を新設、車いす席も30席以上(現在12席)に増やす。アルプス、外野席は09年春、内野席は10年春に更新される。
銀傘は08年春までに撤去。同年は銀傘がない状態で使用する。新しい銀傘は09年春までに設けられ、面積は現在の1.3倍になり、内野席全体を覆う。
改修に伴い、同社は入場料を値上げする考えを示した。【加藤敦久】
【阪神甲子園球場】 1924年8月、阪神電鉄が兵庫県西宮市の河川敷に甲子園大運動場として建設した。その年は十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年に一度出合う縁起のいい年だったため、「甲子園」と名付けられた。総面積3万9600平方メートル。プロ野球・阪神タイガースの本拠地で、春夏の全国高校野球やアメリカンフットボールの甲子園ボウルの会場になっている。
◇甲子園改修構想の主なポイント◇
・耐震補強工事…柱、はり、壁などの増強。阪神大震災級の大地震にも耐えられる構造とする
・座席の改良…前後間隔を内野席で80~90センチ(現状65~90センチ)、アルプス外野席65センチ(現状60~65センチ)に。縦通路を増やし、座席の横幅も拡大
・スイート席…専用の入り口を設置
・フィールドボックス(砂かぶり)席…目線が低く、内野3カ所でファウルグラウンドにせり出す形
・外壁のツタ…一旦伐採後に、既存のツタの種子から育成し再生。植栽5年後に再び全体を覆う見込み
・銀傘…一度撤去後復元。面積は1.3倍広がり、覆う座席を現状(5200席)から内野席全体(7000席)へ増加。支柱を後退させ、観客の視野を拡大
・車いす席…エレベーター設置で利便性を確保
・環境へ配慮…太陽光発電の設置や球場周辺の騒音、光漏れ対策を検討
・クラブハウス…一塁側場外の屋内練習場横に建設。選手、関係者用。駐車場付き。球場より先行して06年5月着工、07年3月完成。
◇阪神甲子園球場の歴史◇
1924年8月 甲子園大運動場として竣工。第10回全国中等学校野球大会(現全国高校野球選手権大会)開催
12月 球場外壁にツタを植栽
25年3月 第2回全国選抜中等学校野球大会(現選抜高校野球大会)開催
29年7月 内野席を鉄筋50段に改造、漫画家の岡本一平が「アルプススタンド」と命名
35年11月 甲子園を本拠とする大阪野球倶楽部(現阪神タイガース)が発足
43年8月 大鉄傘が軍事用に供出される
45年10月 進駐軍に接収される
47年3月 全国選抜中等学校野球大会が復活
4月 アメフットの第1回毎日甲子園ボウル開催。プロ野球の試合も再開
5月 外野にラッキーゾーンを設置
8月 全国中等学校野球大会が復活
51年8月 内野スタンドに大屋根(銀傘)が復活
54年3月 全面的に接収解除
56年5月 初のナイター(阪神-巨人戦)
84年3月 電光式の新スコアボード完成
92年3月 ラッキーゾーンを撤去
2003年3月 スタンド内が全面禁煙