米国産牛肉の輸入が27日解禁された。しかし、日本の消費者は今も輸入再開に慎重で、メディアの調査でも「輸入再開後も米国産牛肉は食べたくない」との回答が半数を超えている。1月20日の輸入停止から半年間にわたった騒ぎは、牛肉そのものだけでなく米国の「姿勢」に対する不信感も膨らませた。輸入再開はやむを得ないと思うが、日米間の心理的な後遺症が気になる。
政府が開いた意見交換会などで出た声を私なりに整理すると、消費者が輸入再開に反対する理由はおおむね三つに分けられる。
第一に、米国は対日輸出のルールを守れるのかという点だ。特定危険部位の背骨が丸ごと付いたままというとんでもないミスの記憶は、簡単に消えない。ただ、これについては、事前査察や抜き打ち検査などの追加策でチェックが何重にもなり、かなり改善された。今回の輸入再開は、再発防止体制が整ったことが根拠だ。もちろんミスを100%防ぐのは不可能だが、重大な違反があればまた輸入停止にするしかないだろう。
第二は、ルールが守られるかどうかにかかわらず米国産牛肉の安全性は疑問、という不安である。米国では、牛の肉骨粉を餌として豚や鶏に与えることが禁止されていないため、牛海綿状脳症(BSE)の病原体が入った豚や鶏の餌が牛の餌に混入する恐れが指摘されている。また、BSEの全頭検査をしている日本に対し米国では検査頭数が少なく、感染実態は不明だという批判も強い。
これに対して、政府の見解は、米国への改善要請は今後も続けるが、改善されないとしても条件付きで日本に来る牛肉はほぼ安全というものだ。
現在の科学的知見では、米国産牛肉の本当の安全性は分からない。そうである以上、危険性について十分な科学的証拠がなければ輸入を長期間止めてはいけないという世界貿易機関(WTO)の規定に従うしかない。この規定自体が「安全」よりも「自由貿易」に偏っているのではないか、との疑問もわいてくるが、現状ではこれ以上禁輸を続けるのは難しかったと思う。
問題は、消費者が反対する第三の理由--押し売り的とも言える米国の姿勢への反発である。この半年間、米国は「米国産牛肉は安全」とひたすら強調し、飼料規制やBSE検査の不備について日本の疑問に正面から答えなかった。それどころか、今月20日にはBSE検査を約10分の1に縮小すると発表した。日本に輸出するため自主的に全頭検査をしたいとする業者の申請は拒否されたままだ。
背骨混入に関する日本への低姿勢は当初だけで、後は一貫して早期輸入再開への圧力をかけてきた。「自動車事故に遭う確率の方が、牛肉を食べて害を受ける率より高い」(ペン農務次官)「一部の輸入車がリコール(無料回収・修理)になったからといって、車の全面輸入停止が正当化されるのか」(ジョハンズ農務長官)といった発言も飛び出した。6月には上院に対日制裁法案が提出された。
米国側は米国産牛肉の安全性を信じ切っているようで、日本の消費者の反応が不思議らしい。この意識の溝を埋めるには、売り手が謙虚に客の意向に沿うのがビジネスの常識のはずだが、米国は「買わない日本人の方が不当だ」と言わんばかりである。
「名経営者が、なぜ失敗するのか?」(シドニー・フィンケルシュタイン著、日経BP社)によると、自信過剰になった企業は「顧客のニーズを聞くどころか、顧客にニーズを押しつけ」「顧客のほうもいずれ自分たちが薦めるものの素晴らしさがわかるはずだ」と考えてつまずくという。米国政府、議会、畜産業界は懸命に日本人の購買意欲を失わせる努力をしているようにさえ見える。
米国の姿勢には、国力があれば無理も通るという高慢さがうかがえる。過去の経済摩擦でも、米国は日本市場の閉鎖性を突いて圧力をかけた。当時は日本側にも市場開放は消費者の利益になると考える人が多かったが、牛肉問題で同じように考える人は少ない。その結果、米国の関心が自国の利害だけにあることが丸裸で浮かび上がった。
日本政府は今回、「食の安全」を掲げてそれなりに筋を通したと思う。それでも「米国寄り」という批判が絶えないのは、米国の発想を変えさせるところまで行かなかったからだろう。「新世紀の日米同盟」(6月の日米首脳会談での共同文書)と言うなら、パートナーに対してもっと影響力を行使してもらいたい。米国のわがままは牛肉問題だけではないかもしれない。
毎日新聞 2006年7月28日