185人が犠牲になった2011年のニュージーランド地震は22日で発生から4年を迎える。語学研修中の生徒12人が犠牲になった富山外国語専門学校の校長で、自身も当時20歳だった娘を亡くした川端国昭さん(62)が現在の心境を語った。校長として娘への思いは胸にしまい、「海外でこそできる経験を」と生徒の海外研修に力を注いでいる。
「学校の研修で12人の生徒が命を落とした。その責任は重い」。川端さんは学校で娘の恭子さんのことを口にしたり、遺族としての一面を出したりしないようにしている。奈良の大学に通っていた恭子さんは個人で現地へ行き、専門学校の生徒と同じニュージーランドの語学学校で研修を受けていた。
川端さんは自らを戒めていても毎年、専門学校の追悼式で話すスピーチを準備する際に恭子さんのことに触れてしまうという。原稿はそのたびに書き直す。「娘への思いを外に出したくない気持ちもある。深い悲しみの中にいるということでは他の遺族と同じ」と声を落とし、複雑な胸の内を明かす。
地震翌年、学校は海外の語学研修を中止した。だが、遺族の「やめないで」との後押しもあり、前校長が「将来に羽ばたこうとする若者の芽を摘んではいけない」と13年に再開させた。行き先はニュージーランドから米国に変わった。
地震直後、川端さんは副校長としてニュージーランド入りし、生徒のホストファミリーと知り合った。この4年間、お互いを訪問する交流が続いている。「文化や環境の違いがあっても言葉が分かれば通じ合える。だからこそ研修は続けないといけない」。自分たち自身でそれを確かめてほしいと願い、多くの生徒を語学研修に送り出し続けている。
ニュージーランド地震では、犠牲者が最も多かった市中心部のカンタベリーテレビビルに恭子さんや専門学校生徒が通う語学学校が入居しており、倒壊で日本人28人を含む115人が亡くなった。〔共同〕