危機にひんしているのはオバマ米大統領の通商政策課題だけではない。米議会上院が大統領の要請を受けた貿易促進権限(TPA)を否決したことは、オバマ氏の「アジア重視戦略」にも疑念を投げかけている。政権側は今回の敗北を「手続き上の齟齬(そご)」と片づけ、常識が勝ることになると強がっている。だが、環太平洋経済連携協定(TPP)と環大西洋貿易投資協定(TTIP)の妥結に欠かせない手段であるTPAを成立させるという目標には、難航の兆しが出ている。
オレゴン州ポートランドに到着したオバマ米大統領。民主党の集会で自らの貿易政策を説明した(7日)=AP/The Oregonian
上院の方が順調に進むはずだった。しかも、オバマ氏の最も手強い敵は与党・民主党内にいる――野党・共和党の反射的な妨害に何年も取り組んだ末に見舞われた新たな試練だ。オバマ氏の今後の通商政策課題は、民主党に譲歩を説得し、共和党を味方につけておくことができるかにかかっている。地政学リスクが高まる時代における米国の威信を占う試金石にもなる。中国が「手続き上の混乱」に煩わされることはない。オバマ氏は主導権を取り戻さなくてはならない。
ヒラリー・クリントン前米国務長官の曖昧な態度は、今後の状況がいかに厳しいかを示す一つの指標だ。クリントン氏は国務長官時代には、12カ国が参加するTPPを世界の通商ルールの「ゴールド・スタンダード(黄金律)」と評した。だが、オバマ氏に代わる米大統領選の民主党の最有力候補としては、不気味にもTPPについて沈黙を守っている。クリントン氏の姿勢は政治的な打算が主な理由だ。オバマ氏は労働組合から環境保護団体や消費者団体に至るまで、民主党のあらゆる利益団体に反対されているからだ。
オバマ大統領はこの問題をマサチューセッツ州選出の大衆迎合主義者、ウォーレン上院議員との個人的対決だと見誤ったフシがある。ウォーレン氏はTPAを廃案に追い込むことを自己目的化している。オバマ氏が、同議員が誤解していると――さらには反対派を総じて「頭が硬い」と――はねつけたのは、他の民主党議員もウォーレン氏に足並みを合わせる事態を招いただけだった。TPPは米国の労働・環境基準を低下させるというのが彼らの見方だ。これは間違いであるため、オバマ氏はその理由をもっと上手く説明しなくてはならない。
オバマ氏はTPPがビル・クリントン政権時代に成立した北米自由貿易協定(NAFTA)とどう違うのかも示さなくてはならない。NAFTAは自由貿易としては欠陥があるものの、米左派にとっての試金石になっている。米国で数百万人の雇用を生むとの触れ込みだったが、実態はそれにはほど遠かった。
中国はTPPに参加していないにもかかわらず、左派はTPPを企業の海外流出に対する「巨大な吸い込み音」の再来だとみなし、もうこりごりだと訴えている。民主党の穏健派でさえ中国の為替操作を罰する条項を盛り込まない限り、TPPを支持しないと主張している。この条項を盛り込めばTPP合意の機会は失われ、オバマ氏が仕方なく拒否権を発動する事態を招くだろう。
■共和党に頼る これまでにない試練
オバマ氏もTPPの経済的効果を大げさに宣伝しないよう気を付けなくてはならない。雇用を生み、日本、ベトナムなどの市場が米国の輸出や投資に開放されるくらいの効果が関の山だ。独自のルール策定や他国を囲い込む動きを強めつつある中国への地政学的な対抗策とみなすべきでもない。TPPは中国政府を含むどの国にも開かれていると米国が明確に示すことが重要となる。オバマ氏は中国とゼロサム競争に陥る事態を避けるよう注意すべきだ。
オバマ氏はこれまでには見られなかった試練を突き付けられている。経済外交の目玉を危機から救うために、共和党の支持に頼らなくてはならないのだ。オバマ氏に残された時間は少ない。ほかのTPP参加国は米大統領選が実施される2016年には議会がTPP合意を批准する見込みはないと承知している。TPPを15年中に妥結し、実行に移すには、TPAを数週間以内に成立させる必要がある。そのためには、議会の妨害を乗り越えなくてはならない。米国の国際的信頼がかかっている。
(2015年5月14日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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