科学研究の基盤である周期表に日本の成果が刻まれることになった。発見当時理化学研究所理事長だった野依良治氏は「日本の科学史にとって画期的な成果だ」とたたえる。応用とはかけ離れた実験をしぶとく続けた結果、ノーベル賞に匹敵する業績を挙げた。基礎科学への投資に先細りの懸念が漂う中、日本の科学界にとって力強い追い風といえる。
記者会見で、元素周期表を手にする理研の森田浩介グループディレクター(31日、埼玉県和光市)
原子番号92のウランより重い元素は人工で合成するしかなく、早くから加速器を造った米国や旧ソ連などが新元素発見を独占してきた。戦後日本の原子核物理を切り開いた仁科芳雄博士を中心に理研で加速器を整備し、念願がやっとかなった。
理研の加速器は1日運転すると電気代だけで約50万円かかる。直接の経済効果を見込めない新元素発見の研究は常に打ち切り検討対象にあがり、113番元素の合成を確実にする3回目の合成に成功したのは実験をやめる2カ月前だった。
東北大学長を務めた小川正孝博士らが1908年に43番目の元素を報告し「ニッポニウム」と命名されたが、後に別の元素を勘違いしていたことが判明し取り消された。そんな経緯を踏まえ、日本の科学界に輝かしい一ページが加わった。
重い元素を合成する加速器には様々な最先端技術が必要だ。粒子の高感度の検出装置など総合力が問われる。こうした基盤を日本はこれまでなんとか整えてきた。
日本の科学技術はこのところ社会にイノベーションをもたらすテーマに比重をかけている。実用化の見込めない研究の優先度は低い。113番元素の認定は幅広い視点で科学研究をとらえようとのメッセージにも受けとめられる。今後の科学技術政策に生かしていかなければならない。
(編集委員 永田好生)