ベスト8進出をかけた試合を20日に控える玉野光南の岡部伶音君(中央)=岡山県倉敷市の市営球場
東日本大震災による東京電力福島第一原発事故の後、福島県から岡山県に移住し、野球に打ち込んだ選手が20日に岡山大会の3回戦に臨む。春夏5回甲子園に出場している玉野光南の外野手・岡部伶音(れお)君(3年)。「甲子園で会おう」という福島の仲間との約束を果たすことが目標だ。
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岡山大会2回戦の17日、岡部君は右翼手として出場。右翼線の飛球に飛び込んで好捕を見せた。チームのムードメーカー。ダッシュの練習で苦しい時、試合でピンチの時、大声で励ます。「がんぱっぺ!」。たまに福島の方言で叫ぶ。
福島県南部の白河市出身。小学6年の卒業式間近、ホームルーム中に震災に襲われた。教室の蛍光灯が揺れ、身を隠した机も倒れた。家族に被害はなかったが、原発事故が発生。長野県に一時避難した。福島に戻ったが、中学の入学式には出られなかった。
小学校から野球を始め、中学でも野球部に。中学1年の冬、「友だちと離れたくない」と訴えたが、事故の影響を避けるため、父親の知人がいる岡山市に引っ越すことになった。
転校直前、野球部のみんながグラウンドで開いてくれた「お別れ会」でのあいさつ。もう二度と会えないかも――。涙があふれた。他の部員も同じだった。一人ひとりの手を握って約束した。「甲子園で会おう」
転入した岡山市の中学で陸上部に入り、週末に野球のチームで練習に打ち込んだ。ことばが違うし、友だちもいない。初めは福島に戻りたいと思っていたが、次第に野球のことで頭がいっぱいになった。「福島の友だちに見せられるよう、うまくなりたい」と。
2013年夏。進路を考えていたとき、玉野光南が甲子園に出場した。「ここで甲子園を目指そう」と進学先に選んだ。だが、2年になっても後輩が試合に出た。「自分の持ち味はバッティングだ」。レギュラーになりたい一心で夜遅くまでバットを振り込んだ。体を大きくしようと、家で食べるご飯の量も倍にした。今春から、背番号「9」をもらえるようになった。
福島で一緒に野球をしていた仲間も、仙台育英(宮城)や作新学院(栃木)といった強豪校で甲子園を目指す。「試合は出とん?」「レギュラーなん?」。通信アプリLINE(ライン)で近況報告し、励まし合ってきた。「甲子園に出たい。福島の仲間に負けたくない。次の試合は、どんなチャンスでも打ちたい」と意気込む。(村上友里)