1964年ごろ東京に暮らした元少年たちから同じ思い出話を聞く。「五輪期間中は立ち小便禁止」「肌着で出歩くのは厳禁」。訪日客の目を意識した指導である。街を挙げ、国を挙げて背伸びした時代の様子がわかる▼思えば64年は日本の背丈が一気に伸びたと感じさせる年だった。春にはOECD(経済協力開発機構)に加盟し、先進国入りを果たす。秋に五輪を迎えると「先進国らしく盛大に」。政財界はもちろん一般市民も同じ気分に包まれた▼あれから半世紀。五輪が国の「背の高さ」の証しとして国内の各層に歓迎される時代は去った。ミュンヘン、ハンブルクなどは招致に背を向けた。費用負担が重すぎるからだ▼ボストンで反対運動を率いた男性の一言が忘れがたい。「ここまで肥大化すると財力のあるアジアの国々しか立候補できない」。なるほど今後の開催地は、冬・韓国平昌、夏・東京、冬・北京。2年おきに韓日中である▼「オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ」。今年2月、与党を慌てさせた匿名ブログ「保育園落ちた」の一節を思い出す。競技場やエンブレムの迷走に憤りが広がった。「背伸びしてでも盛大に」という気分は市民の胸にはもうない▼リオでは今後、施設の解体が始まる。ハンドボール会場は解体されて四つの学校の建築資材に回るそうだ。そんな節約や再利用も2020年東京大会の見せ場である。競技は「速く高く強く」。運営は「安く無駄なくシンプルに」。準備の時である。