観客のいないホールで演奏する菅野潤さん=長崎県時津町、コンサートイマジン提供
第2次大戦中、米国が原爆を開発したマンハッタン計画の拠点で、一人の科学者が得意のピアノを演奏していた。原爆投下後の広島を目撃した父を持つ日本人ピアニストが、その曲を作中で演奏したドキュメンタリー映画が今月、広島、長崎、京都、仙台の4都市で上映される。鎮魂の思いを込め、上映後にはピアニストが生演奏を披露する。
特集:核といのちを考える
客のいないホールにピアノの優しい音色が響く。演奏するのは、宮城県出身でパリ在住のピアニスト菅野潤さん(60)。2012年にベルギー人のマニュ・リッシュ監督が作った映画「スネーク・ダンス」のオープニングのシーンだ。
映画は原爆にかかわった土地の今を巡り、歴史をひもとくドキュメンタリー。ウランが採取されたコンゴ民主共和国(旧ザイール)、原爆開発の拠点となった米ニューメキシコ州ロスアラモス、そして長崎。長崎では子どもたちが行き交う日常を映す。タイトルは、ロスアラモス付近にも暮らしていたアメリカ先住民の儀式からとった。
菅野さんは音楽を担当し、ベートーベンの「悲愴(ひそう)」やショパンのバラード第3番変イ長調を、長崎市に隣接する長崎県時津町のホールで演奏した。この2曲は、ピアノが得意だった物理学者オットー・フリッシュがロスアラモスで弾いていたとの記録が残る。オーストリア出身でナチスから逃れ、英国に亡命。その後、米国のマンハッタン計画に加わった人物だ。
美しい曲を奏でる一方で、その研究が多くの犠牲を生む一端となった。リッシュ監督は「人類とは、恐ろしく、悲劇的で、美しいものなんです」という。
菅野さんの父、多利雄さん(9…