賠償の相談窓口に立ち、申請に来る住民を待つ吉田英樹さん=福島県南相馬市
東日本大震災による原発事故から5年半。廃炉作業の見通しも立たないなか、重い十字架を背負う東京電力の社員は、どんな思いで「現場」にこだわっているのでしょうか。
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特集:東日本大震災
■「安定企業」原発事故で一変
2011年5月。東京電力社員の吉田英樹(47)は、原発事故による賠償金の仮払い手続きのため、福島県飯舘村にいた。村は政府の計画的避難区域に指定され、6千人超の全村民の強制避難が迫っていた。
新緑が鮮やかだった。あぜ道に初老の男性が座り込み、うなだれていた。
「東電です。この度は申し訳ありませんでした」。声をかけるが反応は薄い。
子ども同然の牛50頭を殺処分し、我が家を去る。いつ戻れるかはわからない――。「あんたにこの気持ちがわかっか」。男性の目には涙が浮かんでいた。
「東電が憎い。憎くてしょうがない」。沈黙が続く。そして「でも、あんたも大変だな。お茶でもいれっから、飲んでけ」。
悲嘆を押し殺し、加害企業の社員である自分にねぎらいの言葉をかける優しさ。そんな人の人生を壊してしまった。「これがうちの会社が犯した罪なのか」。吉田は泣き崩れた。
吉田が福島に赴任したのは、福…